象の耳 ~新春号~ 鑑真和上
2022年01月01日
2022年1月1日
コロナ禍に翻弄された年が明けました。
新年おめでとうございます。
今年こそは皆様にとってもより良いお年となるようお祈りいたします。
どうぞ本年もよろしく願い申し上げます。
思い返せば2004年(平成16年)。
鹿児島県坊津町に足を踏み入れた。
旧い友人と再会するため、その友人の案内で鑑真和上記念館を訪ねるため。
いまから約18年前のことである。
坊津町坊から秋目浦へ、226号海岸線を車でくねくね、向かった記念館は道路を眼下に秋目湾内を望む高台にあった。
初めて訪ねた記念館。
率直な感想を言えばその規模にガッカリした。
あの偉大な鑑真が、艱難辛苦を乗り越え、初めて日本の土を踏んだことを称える記念館が、こんなちっぽけなものだったとは。
情けなくて申し訳なくて意気消沈した。
わが国律宗の始祖になった唐の高僧・鑑真和上。
諸宗の奥義を極めた当代随一の高僧・鑑真は、聖武天皇の招きにより日本に渡航しようした。
ところが渡来は困難を極め、海上暴風や密航の差し止めなどのため失敗は5回にも及び、また疫病によって失明するという悲運にも遭ったのだ。
しかしそれらの困難に挫けることなく、ついに753年(天平勝宝5年)、坊津秋目浦に上陸を果たし、わが国に仏教の戒律や薬学の知識などを伝えたのである。
記念館には鑑真像の複製のほか渡航の模様とその生涯が、それなりに展示品で紹介されていた。
その夜、友人と酒を飲みかわし、酔いに任せて、
「市や県、いや国は、もっと鑑真和上の功績を大きく称えるべきだ。まったくなっていない」。
あたりかまわず憤懣をぶちまけた。
友人は困惑しながらも笑って同意し酒を注いでくれた。
話題はヒートアップし、やがて二人の酔っぱらいのアイディアはとめどなく沸き上がった。
薩摩の坊津といえば、伊勢の安濃津(津)、筑前の那津(博多)とともに日本三津と称された良港。坊津には、名勝・双剣石のライトアップやステージ芸能など、坊津の景観を活かした恒例の夏祭りがあるという。
この夏祭りでは海上に輝く約2000発の花火が幻想的な世界を作り出す。
それに近くには歴史的港町坊津を学べる資料館・坊津歴史資料センター輝津館がある。
輝津館には貿易港として栄えた坊津と中国や琉球等との交易関連資料や、一乗院を中心とした坊津の仏教文化にまつわる資料、漁具をはじめとする様々な民俗資料など、貴重な文化財が展示・公開されている。
これらと鑑真和上の功績をドッキングした一大イベントを企画しよう。
そりゃーいいな。
よし、取り組もうぜ…。
こうして酔っぱらい二人の夜が明けたのである。
概要はこうだ。
夜のとばりが下りるころ、飾り付けた坊津の街に壮大なテーマ曲が鳴り響く中、市民、観光客大勢が提灯に灯りをともして海上に振り向ける。
海上に設営した巨大な筏の上では歓迎の歌舞や楽曲が繰り広げられている。
やがて鑑真和上や一行に扮した人気の芸能人を乗せた船が近づいてくる。
歓迎の花火が打ちあがる。
筏に接岸した船から鑑真和上一行が上陸。
市民、観光客の興奮は最高潮。
式典の後、日本や中国、琉球を代表する数々の芸能が繰り広げられる。
やがて筏に繋がる桟橋から一行が市内に上陸。
沿道を埋めた市民、観光客をはじめ、出店の人々にまで一行は戒律ならぬお札を手渡し安寧をもたらす。
傍らには唐招提寺の高僧が同伴している…などといった内容。
時期は?予算は?などといった現実的な企画を設定していたのではない。
このままでいいのか?それでいいのか?鑑真和上だぜ…。
この歴史的事実をもっと大切にしてほしいとの思いが強かったのである。
「やろうぜ。よしやろう。」
酔ったうえでのたわごとだったといいたくないが。
情けないことに、あれから今年で約18年。
まだ構想は実現していない。
しかし気持ちはいまだにふつふつと燃えているのだ。
これも果たせぬ「夢」の一つである、とは思いたくないのだが…。
(完)
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