象の耳 新春号 百年河清を待つ
2025年01月01日
2025年1月1日
新年あけましておめでとうございます。
さて今年はどんな1年となるでしょうか。
紀元前565年、春秋時代のこと。
大国の楚に攻められた鄭では、この際に降伏するか、交流のある晋の援軍を待つかで議論になった。
このとき、降伏派のある人物が、
河の清むを俟つも、人寿幾何ぞ、つまり、いつも黄色く濁っている黄河が澄むのを待つとはいっても、人間の寿命はそんなに長くはないと述べ、晋が助けてくれるあてはないことから楚に降伏することになった。
この故事から、百年河清を俟つとは、いくら時間が経っても、確かなことは期待できないことのたとえとして知られています。
ある時、中国人の友人と話しました。
「いつみても黄河の奔流は凄いし、百年河清を俟っても、清流になることはないね」
「毎年黄土を削り、押し流しているから。その結果、河口は毎年2~3mぐらい伸びているよ」
「その分、渤海が黄色くだんだん汚れてきているんだ」
「まあね。いま伸びている河口はやがて日本とつながるよ」
「そうなれば日本と中国は歩いて渡れるのかな」
「そうだね。5万年先かな?10万年?もっとかなあ」
「それまで長生きするか?(笑)」
「それはそうと、日中戦争について、我々は不戦の誓いを前提に、検証しなければならない」
「そうだね。しかし中国の立ち位置は決まっているよ。一方的に日本に侵略されたんだから」
「その一方的に侵略されたというくだりに抵抗あるな。歴史をよく見直すと日本の政治体制的にも当時の国際情勢や、なんといっても中国の内政状態からしても致し方なかった部分もあるよ」
「でもそれは中国は認めないし、侵略の事実は事実として日本は猛省べきだと、私は学校や党の上司から教わった。侵略された者の恨みは消えることはないよ」
「いつまで?百年河清を俟っても、ダメか?」
「あなたと私の個人関係なら大丈夫だろう。しかし侵略された国家の名誉と尊厳は…。まあいい、めし食いに行こう」
ある時、日本人の友人と話しました。
「日中戦争をはじめ、先の大戦で日本は筆舌に尽くしがたい酷い経験をした。繰り返してはならない。平和が一番だよ。そのためにもこの不幸な歴史を検証しなければ…」
「日本は欧米帝国の侵略から、自国とアジアを守るために立ち上がった。アジア諸国の独立解放を援けた」と、同時に、
「結果的にその行動は中国はじめ広くアジアに侵略し、かの国民に耐えがたい苦痛を与えた」
そのあげく、
「アメリカから原爆を落とされ、大空爆を受けて木っ端みじんに打ち砕かれ無条件で降伏した。
無惨だった」
また、20代の若者と話す機会がありました。
「日本が中国を侵略したこと。アメリカから原爆を落とされ敗戦したことを知っていますか?」
「戦争したことは知っていますよ。でも詳しくは知らない。原爆被害は広島の資料館で見ました」
「あんな悲惨なことは繰り返してはならないんだけど、どうすれば平和を保てるかな?」
「よくわからない。戦争しなければいいんじゃない?みんな仲良くすればいいんじゃない?」
さらにこういうこともありました。
昨年11月9日、98歳で亡くなった中国残留日本婦人だった方の訃報を耳にし、親しい友人と弔問に行きました。彼女とは仕事を通していろいろな交流があり、彼女はいわば日中戦争の犠牲者でしたが、その壮絶な人生は想像を絶するものでした。
NHK「大地の子」がブームをよんだ頃、この方はぽつんと云ったものです。
「あんなものではないよ。現実はもっと悲惨で残酷だった」
話を進めましょう。
戦争責任とは何か。
あらためて考えてみると、中国では庶民レベルに至るまで広範に反日感情が染み渡っているのではないでしょうか。
それに比べ日本では、もう済んだこととして、ことさらそれに触れないようにしているのではないでしょうか。
中国では過去の日本の侵略行為への累代の怒りが過剰とさえ思える反日教育となり、それがネット社会で拡散され増幅されています。
ときとしてオーバーにセンセーショナルに。
それを両国のマスメディアが安易に、かつ、したたかに煽る。
これが現状ではないでしょうか。
(正しい歴史観)
もちろん加害者としての日本は史実に基づいて反省すべき点は厳しく自己を問いただすべきでしょうが、史実に基づいて主張すべきところは主張しなければなりません。
何が何でも一方的に中国に頭を下げたり、ましてや媚びたりすることはもってのほかと考えます。
要は互いに合意するまで粘り強く冷静に対話を重ねることです。
20世紀の日本の軍事主導体制について、まず日本人自らが認識し、考察し、正しい歴史観をもって自らの立場を中国にくりかえし説明し理解に相違点があれば議論するべきなのです。
それも中国への迎合や教条的な謝罪を前提としたものでなく、公正な歴史観に基づくきめ細やかな検証、対等な外交と対話こそが未来を切り拓くと思うのです。
日本でも中国でも悲惨な戦争体験は人間の心身奥深くに染み付き人格さえ変えてしまうようです。
まるで愚かな侵略戦争が、まかり間違っても遠い昔の出来事であってはならないのです。
人が人を殺すという蛮行が肯定されてなりません。
それぞれがしっかりした歴史観を持ちましょう。
そのためにも私たちは繰り返しになりますが、過去の事実を深掘りせず、安易に無責任な論調でやり過ごす日本のマスメディア、ジャーナリズムの鈍化や、日本の政治家の劣化を憂えなければなりません。
もう一度、表題の百年河清を俟つに戻りますが、その前に思い起こせば、
1937年(昭和12年)7月、北京郊外の盧溝橋で日中の衝突事件が起きました。
いわゆる日中戦争の開始です。
これを機に日本とアメリカの関係は急速に悪化しました。
そして1940年(昭和15年)9月、日本はドイツ、イタリアと三国同盟を締結しました。
その結果、日本は石油などの資源輸入が止まることから、タイやいわゆる仏印に武力進出せざるを得なくなったのです。
これを結果的にアジアの解放独立支援とよぶか、苦し紛れに戦地を拡大した暴挙とよぶか、評価のわかれるところです。
その間も中国大陸では泥沼化した戦争は続いていました。
百年河清を俟つに戻ります。
結論から言うと、この年1937年から100年、なにはともあれ日本人はせめて100年くらいは中国人に謝罪しなければならないと、私は思っています。
100年後とは2037年を指し、あと12年先のこと。
私の親も、私も、私の子どもも、その子どもも、反省と詫びの心情を100年くらいは根底に保ち続けなければならないと、私は思っているのです。
まず侵略したという事実に対し、日本人は100年は加害者として謝罪する真摯な姿勢を貫きつつ、侵略の、なぜそんなことになったのか、その真実を追求し、徐々に友好と理解の対話を重ね続けなければならないのではないでしょうか。
88年前の盧溝橋事件を発端に中国を侵略した事実から、世代を経るにつれ、徐々に謝罪の心情が薄れてきたり、中には事実が事実でないなどの発見もあるでしょうが、だからと言って100年近く経ったからもういいだろうとはならないのです。
それほど日中両国民に与えたこの戦争の事実の根は深いのですから。
それに被害者と加害者の立ち位置を変えてはならないとも思うのです。
もちろんいくら願ってもこの世から戦争が無くなるなんて思っていません。
愚かな権力者はいつの時代でも生まれます。
でも私たちは戦争を無くす方法をあきらめてはいけません。
だからあえて百年河清を俟っても、たとえ黄河の水か清くならなくても、その思いをかたくなに守り次世代に託しましょう。
人間の英知を信じましょう。
そのためには繰り返しになりますが過去の歴史に学ぶこと。
とくに私たち日本人は正しい歴史観をもたなければなりません。
戦争は絶対に起こしてはなりません。
是は是、非は非、これに尽きます。
敬愛する周恩来総理はかってこういいました。
「日本人民は軍国主義者の犠牲になった被害者だ」
「日中両国には、様々な違いはあるが、小異を残して大同につき、合意に達することは可能である」
歴史は正直です。
嘘をつきませんから。
真摯に100年間は詫びのサイドから向き合うとする加害者・日本人の態度は、かたくなな被害者・中国人の疑心暗鬼を溶かすでしょうし、それを貫きとおす日本人の信念は、やがて中国人から寛容と尊敬のまなざしで迎えられるに違いありません。
もちろんこの場合の日本と中国の交流は100年経ったから終わりということではありません。
「まあいい、めし食いに行こう」
私の子どもや孫やその子どもたちが、お互いに肩組みあって前を向くことができるように、日中友好の旅は子々孫々続くのですから。
もし100年経っても、日本人と中国人の間の溝が埋まらなければ?次の100年、河清を俟てばいいんですよ。
(完)
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