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象の耳 秋季号  百年河清を俟つ…②

2025年10月01日

 

2025年10月1日

 

その事故は20年以上前のこと。弊社は大分県のK町で「中国文化芸術夢公演・雑技の祭典」を開催した。主催はK町教育委員会。1日2回公演で昼間は小学生と中学生の鑑賞。夜は一般公演だった。事故は昼間の学校公演のさなかに起こった。

中国雑技の演目に「水流星」という演技がある。水を入れた透明な硬質プラスティック製のお椀の両端にヒモをつけ、それを空中で振り回しながらアクロバットをするという演目だ。すべての準備が終わった開演前、私は出演者の彼と談笑しながら気づいた点を指摘した。

「この水流性のヒモずいぶん使い込んでいるなー、大丈夫?」

「大丈夫ですよ、新しいものも持ってきているから」

「だったら、新しい道具を使えばいいじゃない」

「大丈夫、まだ使える、心配しないで」

この会話を甘くやり過ごしたのが私のミスだった。

 

公演事故

やがて開演。上気した小中学生の歓声が館内に響き渡った。それは一瞬の出来ごとだった。

なんと演目・水流星の本番中にヒモが切れ片方のお椀が場内に飛んだのである。それは観戦中の小学4年生の女子児童の額付近に命中した。本番中の場内は客電を落としているし一瞬のざわめき以外にこの件を知った児童や中学生たちは少なかった。しかし、たまたま舞台袖で観ていた私と主催者のA課長は青ざめ、すぐさま客席へ走った。その客席近くにいた教師の了解を得て彼女を連れ出し、すぐ病院へ走った。診察結果は、今のところ脳波などに異常はなし、額部分の打撲、裂傷で全治二週間ということだった。公演はそのまま続けており、終演を迎えた後に、私は出演者を連れて、あらためてお詫びのため病院に急行したが、彼女は駆けつけた母親とともにすでに帰宅していた。私たちは病院で彼女の住所を訊きだしてその足で自宅へ向かった。

玄関口で頭に包帯をした彼女と両親にお会いし、心を込めて謝罪。だがご両親、とくに父親の腹立ちの形相と怒声は凄かった。なんの罪もない可愛い娘の額に傷つけられて冷静な親がいるだろうか。私たちは平身低頭ただただ謝るしかなかった。いったん辞して会場に戻り担当のA課長にお詫びと報告をしたうえで相談した。課長は提案してくれた。

「夜の一般公演が始まる前に、私とあなたであらためてお詫びに行きましょう」

「ありがとうございます、すみません。もちろん出演者も帯同させます」

その旨を出演者に伝えると

「もう、さきほど謝ったよ。また行くの?」

私は思わず彼の胸倉をつかみ怒りの声を上げた。

「おまえ、日本をなめるんじゃない。誠意という言葉は中国にないのか?」

殴りはしなかったが、私の形相をみて彼は怯んだ。

と同時に私は内心ひどく後悔した。新しい道具を使うべきだとなぜ強く彼に指示しなかったのか、この事故は責任者である私のミスでもあった。

お詫び

それから1週間後、この公演シリーズを終えた私は手土産を片手に再びK町の被害少女のご自宅を訪ねた。

「その節は申し訳ございませんでした。その後お嬢さんのご容態はいかがですか?」

それからは折に触れて電話し、手紙を書き、また聞き出していたお嬢さんの誕生日にはささやかなプレゼントを送った。中学校入学時にはお祝いの学用品をプレゼントした。そんなやりとりが3年以上続いたある時、電話口で母親が困惑しながら言った。

「もうすっかり元気ですし、もうご心配なく。かえってこちらが重荷に感じむしろ恐縮しますから」

「かしこまりました。でも、もし今後何かありましたらご遠慮なくいつでも申し付けてください。私が責任もって対応しますから」

そんな私の頑なな態度に、もう時間も経ったし、もういいんじゃない?先方には充分誠意は伝わっていると思うよと助言する友人もいたが、事故を起こした事実は永久に消えないから。まして強打したのは女の子の頭部だぜ。ほんとうにこの件がお互いに忘れ去られてくるまで、自分から幕引きはできないよと応えた。

 

次の年の誕生日、もうこれが最後かなと思いながらお祝いのプレゼントを送った際は、娘をはじめ当初厳しい対応だった父親から思わず電話があった。

「もう大丈夫だから。気にしないでください。いろいろお気遣いありがとうございます」

その言葉をありがたく感じ、少し肩の荷が軽くなってから、さらに1年が過ぎた。

別件の仕事の打合せでK町近くに出かけた私は先方に電話してみた。電話は不通になっていた。K町役場に立ち寄り、当時のA担当課長に聞くと

「ああ引っ越しされたようだよ。あなたの誠意に先方は恐縮されていたよ。ありがとうね」

「いえ、いえ、こちらこそ。予期せぬこととはいえその節はほんとうにご迷惑をおかけしました」

「娘さん、送ってくれたパンダのぬいぐるみがお気に入りで大切にしているって、この前役場に来たオヤジさんが話していましたよ。なんか中国に興味を持ち、将来は中国に行きたいって」

いま彼女は30歳?お元気に過ごしていらっしゃることと思う。もし連絡が取れるとしたら私はまた同じことをいうと思う。

「その節はご迷惑をおかけしました。申し訳ございません。すみませんでした」

 

被害者と加害者

予期せぬ事故とはいえ、被害者は小学校4年生の女子児童。加害者はこの仕事の責任者としての私。時の流れは往々にして加害者の贖罪意識を薄れさせるものだが、被害者の抱く感情は並大抵なことでは薄れない。まかり間違っても、もう済んだこと。謝っているからいいじゃないかなどと、加害者が論ずべき事柄ではない。誠意とは、被害者がもう充分ですとノーサイドの笛を鳴らしても、それに感謝しつつも加害者として永遠に抱き続ける贖罪の感情だと思うからだ。それがイヤなら絶対に加害者になってはいけない。いや、加害者になりうるべく行動は厳に避けるべきだ。このことは対中国にかかわらず、真珠湾を奇襲攻撃した日本と原子爆弾を投下したアメリカの戦争責任も同列なのである。

百年河清を俟つ

なぜ、こんな昔ばなしを書きだしたのか?

それは本年2025年1月新春号の「象の耳」に書いた拙文「百年河清を俟つ」の持論を補完したいがためである。1937年から2037年までの、たとえば100年間、日本は中国侵略に対して猛省し謝罪しなければならないと書いた。100年で足りなければもう100年謝罪の意思を継続しなければならないと書いた。昭和100年、戦後80年。もう済んだことだし、60年村山談話、70年小泉談話、80年安部談話も出した。もう終わりにしよう、もういいだろうと「被害者」である中国が切り出すのでなく、まかり間違っても「加害者」である日本のほうから抗弁するとしたら、俗な言い方をすれば、そりゃーもうー何をかいわんや、ちゃんちゃらおかしい。そんな性根の弱い誠意のない国民になり下がったのか?私たちは。

もっともこの不幸な一事をもって万事がすべてそうだというのではない。是は是、非は非なのである。もし中国が日本にとって理不尽な不当な事柄を突き付けた場合は断固として抗弁しなければならない。それが敬愛する周恩来総理の

「小事を残し大同につく」

ことの意味だと、私は解釈している。小異を捨てて大同についてはいけないのである。

8月の広島原爆式典で湯崎広島県知事は核に頼らず価値観や文化によって相手を魅了、敬服させ、味方につけることが肝要と説いた。粘り強い対話(外交力)と粘り強い相互理解の促進こそ連鎖する憎悪の氷を解かすのである。

誠意は充分受け留めた。この不幸な歴史を乗り越えて、お互いに未来志向で協調しましょうと、被害者・中国がもろ手をあげて歓迎して、初めて和解が成立するのである。したがってそれまで加害者・日本はこの件に関しては誠意に次ぐ誠意をもって対応するしかない。百年はおろか千年でも、平和のために河清を俟つ根性を日本人は持っていると世界に知らしめたい。それは日本人としての矜持なのである。

究極に考えると、戦争は被害者も加害者もなくみんなが犠牲者となってしまう。戦争はぜったいにしてはならない。平和が一番である。

(完)

 

 

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