象の耳 夏季号…碓井平和祈念館
2024年07月01日
2024年07月01日
3月の桜が咲く前のこと。
福岡県のほぼ中央に位置する嘉麻市を訪れた。
嘉麻市は、山田市、稲築町、嘉穂町、碓井町の1市3町が2006年に対等合併して誕生した。
内陸気候のため寒暖差が激しく、雪が降ると積雪することもあるという。
かつては筑豊有数の炭鉱都市として栄えたが、現在はすべて閉山しており、人口減少や急激な過疎化が進んでいる地域の筆頭だ。
嘉麻市の中でも小さな旧碓井町に所用があり訪問した。
旧碓井町単体としては人口は5千人台くらいだろうか、いたってのどかで静かなところである。
用件を終え、持て余した時間をつぶすために、この町が生んだ洋画家・織田廣喜の作品を常設展示している織田廣喜美術館を訪ねようと車を走らせた。
こぎれいな丘の上に美術館はあり、あわせて図書館や平和祈念館も併設されていた。
えっ?こんなところに平和祈念館?こんな小さな町に平和祈念館があるなんて…。
平和祈念館的な建物といえば、広島、長崎をはじめ、知覧、鹿屋、大刀洗、宇佐、沖縄、川崎、徳島、東京など、日本全国いたるところにある。
もちろん靖国神社の遊就館も祈念館であろう。
この碓井町の平和祈念館は、何を、どういう目的で展示しているのだろうか?そんな興味が増し、織田廣喜美術館より先に入館し、私の眼はそのまま釘付けとなった。
碓井平和祈念館は平和と人権をテーマに1996年に開館したそうだ。
全国から収集された戦時資料が一堂に展示されている、県内でも数少ない施設だった。
将兵が戦場で使用していた道具、銃後での生活用具をはじめ、戦時の炭坑や戦後のBC級戦犯裁判など、日中戦争から太平洋戦争にいたる様々な資料を展示していた。
館内は近代日本が経験した戦争関連の資料約250点を一堂に展示したスペースと、人権に関する展示に分かれていたが、常設展示している戦時資料には、出兵や動員などに関わる文書資料、兵士の所持品などさまざまなものがあり、戦争に突き進んだ当時の日本の姿を垣間見ることができた。
中でも裏地に犬の毛皮が用いられた兵士の防寒コート、陶器製の手榴弾や地雷、内地の女性が兵士に宛てた慰問文やBC級戦犯の遺書など、また筑豊という土地柄か、朝鮮半島から産炭地へ動員された、または夢抱いて自ら海を渡った朝鮮人や中国人の悲哀を含め、貴重な資料がさりげなく展示されていた。
とくに人権コーナーでは、九州水平社運動で活躍した、この地が生んだ政治家であり僧侶の田中松月の半生を通して、福岡県の水平社運動(部落解放)の歴史を、これまたさりげなく展示していた。
国策にのっとり、石炭増産景気に沸き、やがて戦争に突き進んだ日本と、部落解放を旨とした差別撤廃運動に命を懸けた動きと、そのはざまで翻弄された名もなき日本人や朝鮮人や中国人の悲哀が、たんたんとうかがえた。
小一時間もいただろうか、丁寧に参観する私以外に、入場はもちろん無料にかかわらず、来館者は一人もいなかった。
これほどの展示なのに入館者も居ず「もったいない」という気持ちと、これを建立しようと立ち上がった旧碓井町の有志達の幅広い歴史観とこだわりに賛意を送りたいと思った。
もう一つ、碓井平和祈念館には「ベッキイ人形」の逸話もあった。
この人形は1927年(昭和2年)に米国の子どもたちから日本に贈られた青い目の人形だ。
この頃、世界では第1次世界大戦後の新たな国際秩序がつくられようとしていたが、不安定な状況は続いていた。
日本では海外移民が盛んに行われ、受け入れ先の米国では増え続ける日本人移民に対する排斥運動が激しくなっていた。
そんな中、長年日本で活動していた親日家の米国人宣教師シドニー・ギューリックは、偏見のない相互理解こそが世界平和につながると、「世界児童親善会」を設立し、日本に友情人形を贈ることを計画した。
人形製作会社で作られた1・5フィート(約45センチ)の人形を全米で子どもたちが買い取り、衣装を作り、名前をつけ、約1万2千体の人形が12隻の汽船でひな祭りに合わせて日本に送られた。
日本では、皇族や外交官、各界の名士、小学生の代表ら約2千人を招いて盛大な歓迎会が催され、全国の小学校へ贈られた人形は各地で大歓迎を受けた。
しかし、14年後、日米は開戦。1943年には、新聞やラジオで青い目の人形は「敵性人形」として「たたき壊せ」「焼き捨てろ」と宣伝され、激しい憎悪を向けられた。
平和を願って贈られた人形は一変して子どもたちの敵意をあおるために利用され、全国で無残な形で姿を消していった。
旧碓井町の尋常高等小学校のペッキイは、幸いにも教員たちによってひそかに隠され、戦後も大切に保管されて、1988年に再び小学校に戻ってくることができた。
皮肉にも人形を贈り、歓迎した日米の子どもたちは成長し、互いに憎み殺し合う戦争に巻き込まれていった。
苦難を乗り越えたペッキイは今も平和を願い伝えるメッセンジャーとして旧碓井町の小学校で子どもたちとふれあいを続けている。(嘉麻市碓井平和祈念館学芸員 青山英子より)
2023年(令和5年)、メジャーで大活躍する大谷翔平選手は、日本の子どもたちに約60,000個のグローブを寄贈することを発表した。
グローブの寄贈は順次行われ、対象は義務教育学校や特別支援学校を含む日本全国の小学校とした。
内訳としては右利き用2個と左利き用1個であり、児童どうしでのキャッチボールが想定されている。
この寄贈は大谷が幼少期より野球好きであったことから行われ、このグローブによって野球に興味を持つきっかけになってほしいと彼はコメントした。
ベッキイ人形もグローブも友好と平和の願いであることは間違いない。
(完)
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