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象の耳~夏季号~ 日中友好とは? 

2022年07月01日


2022年07月01日

今年は、日中国交正常化50周年、来年は、日中平和友好条約締結45周年。

隣国同士の日本と中国が、互いの地理的所在地を動かし、国交を断絶して敵対国にならない限り、この佳節は永遠に続くのです。

それにしても盛り上がらない50周年記念の佳節。

近頃コワモテの雰囲気を振りまく?中国のせいか、それとも友好交流に無関心を装う?日本のせいか?例年なら佳節を迎えて盛り上がる日本の友好諸団体諸士の動きも鈍い。

何か怖れることがあるのでしょうか?

そもそも日中友好とは何でしょうか?

私たちはこう考えています。

日中友好とは“友愛を基点とした闘い”である。

友愛とは、友に寄り添う心。

基点とは、行動する際の立ち位置。

そして闘いとは、心のこもった対話である、と。

したがって日中友好とは、是は是、非は非の基点=立ち位置から交流を促進するもので、何が何でも日中双方がべったりくっつき、仲良くすることではないのです。

思えば40年前、上海徐家匯(じよかわい)の歩道橋のど真ん中で中国の友人と熱い議論をしたことがあります。

歩道橋の下にはアリの行進のように人民服と自転車の集団が延々と途切れません。

「あなたの意見は分る、わかるが、あの人民をどうしたら飢えさせずに導けるか?これが大問題だ」。

30年前あふれかえる車の洪水と空を覆う排気ガスに

「成長しだしたら止まらない。もう人民の茶碗と箸を取り上げるわけにはいかない」。

20年前高まった世界中の中国への非難に

「専制、独裁の限度は分るが、今さら元へは戻れないし、人民の欲望をコントロールできるのは、結局この体制しかない」。

10年前

「人権問題は肝に銘じているが14億人、56の民族を一つの束にしなければ、もっと凄惨な事態を招く。それだけは何としても避けなければならない」。

議論の行く末は、どうしても双方の政治体制の是非に踏み込むことになるのです。

「ところで逆に問いたい。日本の民主主義体制とやらでは貧富の格差や差別の横行、テロの恐れや政治腐敗はないのか?国民の心はみな平穏で豊かなのか?」

“他山の石”という言葉もある。

“人の振り見て我が振り直せ”ともいう。

今の中国と中国人は昔に比べ豊かになり覇権を求め強権的。

たとえば果てしなく増強する軍事力、少数民族に対する人権抑圧、何より横暴なふるまいをみせる国家の体制…。なるほど。

それでは日本は?私たち日本人は?

差別も汚職も脱税もなく若者が生き生きと暮らせて子育てできる世の中になっていますか?子どもたちの貧困は?何より安全保障上、国家として本当に自立していますか?

一方的に相手を非難することはたやすいが、その先、じゃあどうすればよいのか、どうすればよりベターな社会になるのかという解決に向かって互いに考え、悩み、語り合い、行動することが重要なのです。

そんな状況下において、友人が、それでも不可思議な行動に出れば諫めるのは当然のこと。

ときには、口角泡を飛ばして議論します、そりゃまあ徹底的に。

それでも平行線であれば互いに宿題として持ち帰り、また、違う角度から議論を再開します。

率直な意思疎通を図るエンドレスな対話の継続です。

やがて時の流れとともに、大局を見据えたほうが歩み寄るようになります。

こうして日本と中国は2千年の間、知恵を出し合い、切磋琢磨してきました。これからも、この精神は変わりません。

ところで日本では「小異を捨てて大同につく」といいますが、中国では「小異を残し大同につく」といいますよね。

小異を捨てるとはいささか大胆ですが、いさぎよい日本人気質をものがたっており、過去は水に流して、未来に生きようとでもいうのでしょうか。

中国人は小異を残します。

意見の違いは違いとして尊重しつつ、それはそれとして未来に重きをおくのでしょう。

有名なエピソードは国交正常化交渉時の周恩来総理。

日本の田中角栄首相に対し「(中国は)小異はあるが大同(国交正常化)につく」と交渉を進展させ、日本に対する戦争賠償を求めなかったのです。

悪いのは一部の軍国主義者。

多くの日本人はむしろ犠牲者だ。

双方ともに未来志向でと政治的合意を求めた。

小異は”メンツ“に残したのである。

その夜のスピーチで田中首相は「先の戦争では多大な迷惑をかけた」と反省。周総理は「迷惑とは何事?苦痛だろうが!」と激高。

両者のメンツの間に入り和解に奔走した大平正芳外相と姫鵬飛外相の困惑ぶりが目に見えるようです。

そこに国柄や国民性の違いがうかがえ、漢字の国同士、受け取る言葉の意味合いの軽重や、先の大戦による被害者、加害者の構図が見えてきますが、どちらの発言や方針が優れているかなんてわかりません。

いずれにしても互いの違いを認め合いながら、次世代のために何を捨て、何を残せばよいのか、何が大同になるのか、これからも議論を続けなければなりません。

勝ったり、負けたり、儲けたり、損したり、騙したり、騙されたりと、これからも両国のドラマチックな軋轢は続くでしょう。

いいじゃありませんか。日中の切磋琢磨、大いに結構。

そんなやりとりの中でも日中双方の文化や芸術の交流はこの2千年、微動だにしなかったんですから。

たかだか70年や80年の短い自分の人生で、2千年の交流のひとかけらでもかじることができたら、自分史的にも満足だと思いませんか?

これは日韓でも日米でも日露でも、どこの国や民族に対しても同じこと。

友愛を基点とした闘いこそ、日本人らしく冥利に尽きると思いますね。

要は、短絡的思考で、つい暴力や武器に頼るんじゃないということ。

とくに戦場に征かない立場と年齢になった輩こそ、大きな声でもっともらしく叫びたがるんですから。

そんな勇ましい(?)輩は、日本でも中国でも、残念ながらゴロゴロいますよ。

だって威勢いいほうがカッコいいもん。

考えてみてください。

中国人にも日本人にも、人間には、何のために、目や耳や口がついているんでしょうか。

よく見て惑わされないために目が、よく聞いて検証するために耳が、よく相手の話を聞いて理解し交流するために口がついているんですよ。

もうお分かりですね。

日中友好とは“対話による不戦の誓い、平和への道”なんです。

繰り返します。

「大変だ、大変だ!」このままなら侵略されると煽り立て、「愛国心はないのか?」と批判を強め、「大切な家族や友人を守らなければならない」と、もっともらしい恫喝をする風潮が増えてきたら危ないんですよ。

とくにマスコミが手先となって煽りだしたら要注意、皆が同じ一方向のみの報道を信じだしたら厳重注意、ですよ。

騙されてはいけません、と、私たちは思っています。

平和に勝る喜びはないんですから。

思えば飛鳥の時代から日本は遣隋使、遣唐使を送り中国から学び、鎖国時代も長崎から文化芸術を受け容れました。

近年は孫文を援け日本は中華民国建国に寄与しました。

この間、どれだけ多くの人々の思いやりの心が東シナ海を往来したことでしょう。

飯食って笑いあったり、机をたたいて議論したり、満月をみて別れを惜しんだり…。

互いの心と心をつなぐ橋、それは対話だったんです。

徹底的な対話こそ日中友好の原点。

今こそ平和的外交力を発揮するべきでしょう。

ところで中国でも日本でも時の権力者がもっとも怖れること、それは自国民の内からの反発。

国民を軽視し国民と対話を重ねる姿勢を無くした権力は必ず滅びます。

国民はバカではありません。

無力なアリでも積み重ねれば巨大堤防を崩すのですから。

かって周恩来総理はこういいました。

「銃で人を殺すのはたやすい。しかし暴力による闘いは肉体にしかおよばない。魂にまで到達することができるのは道理による闘いだけである」。

つまり相手の立場と気持ちを尊重しながら道理による闘いを徹底するには、積み重ねる闘い=対話しかないのです。

繰り返しますが徹底的な対話こそ平和への近道なんですね。

(完)

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