~春季号~ 日本人の智恵
2016年04月01日
昨年12月、京都で第14回蓮如賞の授賞式と公開シンポジウムがあった。
その際、大谷暢順老師が基調講演を行った。
暢順老師は1929年京都生まれの87歳。本願寺法主、本願寺文化興隆財団理事長として、またジャンヌ・ダルクの研究など日本のフランス文学者としても高名で、今上天皇の従兄弟にあたるお方だ。
この基調講演を聴いて、「目からウロコ」状態になった方、「然り!」と膝を叩いた方も多かったに違いない。平易な言葉でわかりやすく説く師の思いは、私たちと共有する部分が多いのだ。 その講演の内容が、後日、月刊誌文芸春秋に掲載された。ご周知の方も多いに違いないが、ここに基調講演の内容を転載させていただく。春爛漫の束の間、桜をめでる私たちの本性はここにあるのだろう。
基調講演 日本人の智恵 大谷暢順
~平成三十二年の東京五輪のビジョンの一つに「あらゆる多様性を肯定し、真の共生社会を実現しましょう」とあります。根本となるのは「和」の精神です。これはすべての日本人の精神、文化、芸術の基底をなすとともに、社会や自然と共存、調和するための日本人の智恵であると私は考えます。
さて、七世紀の初め、仏教思想に基づいて国を治めた聖徳太子は、『十七条憲 法』の第一条で、「和をもって貴しと為す」と表明されました。
この「和」の精神は「我も他者も、ともに煩悩を抱え、迷い続ける凡夫に過ぎない」という深い内省と、「人に喜びを与え苦しみを除く」という仏教の慈悲感に基づくものです。
こうして、日本人は自己中心的にものごとを見るのではなく、他者や周囲に思いを寄せ、ともに連携していく眼を開き、謙虚さ、周囲への気遣い、全体の調和を第一義としています。
さらにこの精神は、異なる文化や思想を対立させず、相互共鳴させる世界を作り出します。 最も顕著な例が、大陸から伝来した仏教をわが国古来の神道と一体化させ、異なる宗教である神と仏をどちらも排除することなく、ともに信奉する神仏融合の思想です。
神仏融合に基づく「和の精神」
但し、この思想は自己と自立性に乏しいのではないかと欧米から不可解に見られる場合もありました。
しかし、一義的なアイディンティティと契約社会を背景とする自己主張に任せれば、深刻な対立と抗争を生むばかりです。
日本人は「和」から生み出された、他者と調和して包容する心を大切にし、様々な問題を円満解決する術を身に付けたのです。
個と組織の関係にもこの思想は反映されています。個人主義の欧米とは違い、日本人は、「和の精神」と「場の倫理」から、自己と組織を含む周囲との関係を最も重視します。スポーツに見られる日本のチームプレーもその一つです。これはあたかも個人が共同体のために犠牲となっているように見えるかもしれません。 しかし、「細部にこそ全体が宿る」のです。
日本の職人は、「和の精神」を背景にして、それぞれ異なる作業に従事し、その協同の結果、一つの作品が完成するということで、「1+1」以上の価値を生み出します。細部である個人が全体そのものを抱合し、個も組織もともに高められていく。これが「和の精神」、すなわち、日本人の智恵に基づく日本社会なのです。
西欧に目をやると、古代ギリシャ、ローマでは自然を人間や神も内包する存在と位置付けました。その後、人間が超越者として自然を征服、支配する、人間中心主義の思想が主流となり、現代に引き継がれました。
これに対し、日本人は古来より、自然を対峙して征服すべき存在と見ませんでした。山や川等をはじめ、雨や雷等の自然現象から路傍に転がる石にまで霊 性を見出す世界観に生きてきました。
そして、神仏融合の思想によって、「自分自身も自然の一つである」と考えま す。自然は恵みをもたらす一方、我々に刃を向ける存在でもあるが、共生ではなく、自己をその中に合一させる独自の思想につなげたのです。
そして、神を絶対的な規範とする一神教的判断と異なり、山川草木からモノにまで霊性を見出す重層的価値観を拠り所とし、多元的且つ柔軟な世界観を創出したのです。
相続講で日本の心再生を
浄土真宗の開山親鸞聖人はその「和讃」の中で、 「天神地祇はことごとく 善鬼神となづけたり これら の善神みなともに 念仏のひとをまもるなり」と詠み、 浄土真宗開立の祖蓮如上人も「和光同塵」を提唱して、 神仏融合の世界観を大切にしてきました。
ところが、近年、この和合の精神を忘れ、神道を排斥する動きが一部にあります。
それと並行するように日本社会、さらには国際社会も混迷の極みを続けています。
そこで今こそ、神仏融合を基底とする「日本のこころ」を再興し、人類の新たな灯火とするべく、私はこの東山浄苑東本願寺に相続講を創設しました。
最後に、和を尊び、他者や組織、自然との調和を第一義とする日本人の智恵が世界の人々に理解され、人類にとって不変の灯火になることを心より願ってやみません。~
無宗教の筆者は、特定の宗教を推奨する気は毛頭ないが、心に宿るものがあれば、自己の琴線をフル回転させる。今回の老師の基調講演は意義深かった。
確かに日本人がもつ「和の精神」は、平安時代の三百年間、江戸時代の二百六十年間はいずれも大乱がなく、ほぼ平和な時代が続いたのである。他の先進諸国では考えられない「和」による日本だけの誇るべき歴史である。
もしご興味を持たれたら、老師の数ある著作から、「人間は死んでもまた生き続ける」と「歴史に学ぶ蓮如の道―日本再生を求めて」はご一読をお勧めしたいと思う。
なお「相続講」とは、親鸞聖人の教えを正しく伝えていくための『法義相続』と、道場である真宗本廟(東本願寺)を維持するための『本廟護持』の願いで創設された門徒の懇志、つまり寄付やお布施に由来する。‟お東紛争„など、過去にいといろとあったが、親鷲聖人の教えの大きなテーマは、“いかに生きるか”だから、その真理を求めるために支払う授業料と考えれば、よいのではないだろうか。 (完 M・F)
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