無用の用
2022年03月28日
老子や荘子は云った。この世に無価値なものはない。すなわち、“無用の用”である。
たとえば、手元にある器を見てみよう。この器の中に、何もない空間があるから器としての役割を果たしているんだよな。つまり、形あるものが価値あるのは、形ないものがその役割を果たしているからなんだ。
現代ではどうだろう?何もない器に、目に見える、そう目に見える形あるもの、そればかり、手を変え品を変えていれることを優先し、それにランクをつけて、高い、安いとか、儲けた、損した、あげくは、勝った、負けたと一喜一憂していないだろうか。
ところで形あるものは、永遠不変ではなく、外からのさまざまな刺激によって変わるから常に変遷する。
したがって、目に見える形あるものは成長という名の格差、競争、差別にさらされるのだ。
いつまでたっても、これでいいということはない。
“路傍の石”の作者・山本有三はその一節で、
「実利も結構、実益も結構さ。しかし、無用の用ってこともあるんだぜ。」と説いた。
あらためて何もない器を見つめてみよう。
その器は、家族や友人と日々食事する茶碗であったり、所在する地域コミュニティーであったり、あるいは国家であるかもしれない。
この器に何をいれたらお似合いですか?金儲けですか?戦争ですか?…、…、…ですか?
器を満杯にし、人々に安らぎを与えるもの。
これしかないでしょう。
人間としてそれぞれが大切に守り、これからも守り続けるもの、つまり文化や芸術をいれましょう。
器が映え、心が豊かになります。あるいは正しい教育も必要ですね。
平和な社会の維持はもちろんです。
この世に無価値なものはない。この頃よく思います。
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