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~新春号~ ナディアの青い空…④

2018年01月01日

2018年1月1日

 

そんなことがあったある日の午後、ナディアからメール連絡があった。

 

いま福岡空港に着いた。

あなたにお土産を渡したいから明日そちらへ行ってもいいかという内容だった。

翌日の午後ナディアは北九州市小倉にある私の事務所へ元気な顔を見せた。

「お帰り。大変だったね。どうお兄さんは、ご両親はお元気だった?」

机から立ち上がりながら私は訊いた。

そして努めて明るく振舞いながら応接室に案内したが、改めて正面から見ると少し頬がこけたような感じがするナディアの笑顔が気になった。

彼女は強い信念を持ち始めたようだ。

「これお土産です。ウィグルの薔薇のお茶です。」

「ありがとう。薔薇のお茶って珍しいね。ウィグルの人、このお茶よく飲むの?」

「お客様にはよく出します。お肌がきれいになるんですよ。若返りにもいいんですって。」

「へえー。そりゃいいな。ありがとう。ところでどうお兄さんは、ご両親はお元気だった?」  「ええ、おかげさまでお兄さんはその後順調に回復しています。もう少しで 退院できますが、義足ができるまでは松葉杖の練習をするようにお医者様に言われました。お父さんもお母さんも、歳をとりましたが元気です。ありがとうございます。」

「まずはよかったですね。」

「あのう、急なお願いなんですが、これからお時間をいただけますか?」

また唐突なナディアからの誘いだ。

しかしこの日は私も取り立てて用件もなかったことからその申し出を快諾した。

ナディアは私に紹介したい人がいるという。

誰だろう?

車を出した私はナディアを助手席に乗せ、まずは紹介したい人がいるという小倉駅へ向かった。

 

小倉駅は北口の新幹線口に停車し、出迎えに飛び出したナディアの帰りを車内で待った。

5分もせず彼女は年のころ30歳から35歳く らいの背の高い色白の男性をともなってこちらへ向かってきた。

ウィグル人ではないのか?

私は出迎えるべきか、そのまま車内にとどまるか、一瞬迷ったが、そのまま車内からその男性を観察していた。

やがて後部ドアが開いて、促された男性が 乗り込み、ナディアが続いた。

ナディアは私に男性を紹介した。

「ご紹介します。イリハム・サディンさんです。ウィグルの人です。」

男性は野太い声でイリハム・サディンと名乗り、頭をペコリと下げた。

かなり正しい日本語の発音を褒めながら、私は振り向いて彼と握手した。

大きな手 が温かった。

その後、私たちは車内でしばらく話を続けた。

イリハム・サディンさんが広島県の大学に留学していること。

すでに結婚しており4歳の男の子がいること。

出身はカシュガルであること。

踊りは下手だが、ドゥタールという2本の弦をはじいて弾く民族楽器は少々演奏できること。

歌はうまいと本人は思っているが、周りからは下手だと指摘されること。

結構明るい性格であることなどが分かった。

やがて駅前の監視員に車の移動を促された私は、食事でもしようかと提案したが、行きたいところがある、いいですか?と、イリハムさんから要望された。

なんと彼は小倉南区にある平尾台へ行きたいといったのである。

「へえ、平尾台なんか知ってるの?どこで耳にしましたか?」

こう尋ねる私に、彼は、

「私は大学で地質学を研究していますから、前から北九州の有名なカルスト台地を視たかったのです。お忙しいところすみません。」

と、またペコリと頭を下げた。

その後車内ではウィグルの話や私が行ったことがある中国の都市の話や,気候の話、日本の素晴らしいところなどの話が和気藹々と続いた。

やがて50分ほどで小倉南区の山間にある平尾台に車は着いた。

平尾台は国の天然記念物に指定されたカルスト台地である。

周辺には鍾乳洞が点在し、大小のドリーネのあるカルスト地形が広がっている。

草原の景観を守るために行われる春の野焼きは有名だが、全国的にはそんなに高名な観光地ではない。

しかし市民にとっては手軽なハイキングコースなどもあり、憩いの場所として愛されているところだ。

イリハム・サディンさんは車から出るなり、大きく背伸びして新鮮な空気を吸い込み、満面の笑みを浮かべた。

梅雨明け間近とはいえ、時折り差し込む初夏の日差しが草原を照らし出して美しい。

そよぐ風もすがすがしい。

私とナディアも車から降りて胸いっぱいに新鮮な空気を味わった。

「素晴らしいところですね。想像していた通りだ。あたり一面が緑に覆われ、でこぼこの石はまるでヒツジのようですね。いや素晴らしい。」

付近の草をかき分けて歩き出したイリハムさんを目で追いながら、傍らのナディアに話しかけた。

「イリハムさんて、いい人だね。前から友だちなの?」

「ええ、いい人ですよ。優しいし、頭もよくってね。彼とはウィグルの共通の友だちの紹介で知り合いました。でも最近のことです。広島の大学にいるっていうから、私から連絡して、それからいろいろお話したり、相談にも乗ってもらっています。」

「なるほど。この日本で、いわば遠い異国で、同じ国の友だちができるなんて嬉しいよね。」 「そうなんですよ。それに共通の課題も語り合えるし…。」

共通の課題か、話題じゃなくて課題…。

たぶんいずれあの話になるんだろうが…、もっとも私にできることがあれば、力を貸したいなと思う自分がいた。

 

やがて小雨がぱらつき出してきたせいなのか、イリハムさんが帰ってきた。

私たちは車に乗り込んで雨宿りをすることにした。

たぶん他人には聞かれたくない話がこれから始まるのだろう。

案の定ナディアが口火を切った。

「イリハムさんにはあなたのことを全部話しました。私が日本で勉強や生活を続けられるのも、あなたのおかげだって彼は知っています。それにあなたが中国とウィグルの問題について心を痛めていることに、イリハムさんも私も申し訳ないという気持ちと感謝の気持ちでいっぱいです。」。

「そんなことはないよ。あなたが舞踊の仕事頑張るからだよ。ところでイリハムさん、あなたも彼女と同じ思いなの?」

それまで少年の目のように生き生きしていた彼の表情が、私の質問を受けて一瞬引き締まったように見えた。

「そうですね。私はナディアさんと知り合う前から、この問題についていろいろと活動していました。活動と言っても、まず日本に住むウィグル人と連絡を取り合うことや、ウィグルから入る情報の確認、そして中国政府の打ち出す方針の分析です。ただし私たちは、この日本に居ながら革命を起こすわけでは ありません。一人でも多くの心ある日本の方にウィグルの現状を知っていただき、もし私たちの考えが間違っていたら、それを正していただきたいんです。幸いにナディアさんから、あなたは中国やアジアのことに理解が深い方だし、信頼できる方だと聞きましたから。」

それは買い被りすぎだよと謙遜しながら、私は彼に発言の先を促した。

彼はいきなりグルジャ事件って知っていますかと私に聞いた。

私が深くは知らないというと彼は語りだした。

「あれは97年の2月です。ウィグルのグルジャ市というイリ地方にある都市で、若者たちが中国のウィグル人への宗教弾圧や就職差別に抗議するデモを行いました。警察がデモのリーダーを逮捕しようとしてもみ合いになり、丸腰のデモ参加者が逃げる後ろから発砲するなど、デモを鎮めるためとは思えない惨事が起きました。中国の公安警察は捕まえたデモ参加者を丸裸にし、放水車で水を放射したのです。真冬のウィグルはマイナス20度にもなるため、水は瞬時に凍り、耳や足の指が凍傷で落ちてしまったんです。1000人以上のウィグル人が逮捕され、死者は150人以上になりました。また逮捕者は拷問さ れ、女性は裸にして警察犬に噛ませて大けがを負わせる、軽犯罪者の牢に入れレイプさせるだけでは飽き足らず、警察官までレイプを行うなど、地獄のような仕打ちをしました。中国では、デモするには事前申請が必要なんですが、申請しても絶対に許可されません。なぜならそれは中国政府の方針に反対するデモだからです。そのため仕方なく無申請でデモせざるを得ませんが、そうなると参加者は全員犯罪者にされてしまうんですね。」

「酷いな、それは。」

私は当時の光景を想像して絶句した。

それだけではないんですと彼は続けた。

「チベットや内モンゴルなども同様ですが、ウィグルは中国に長年弾圧され続けているのに、中国が世界に発信する情報は、ウィグルは豊かになったという嘘の情報ばかりで、日本のマスコミはそれを鵜呑みにして報道しているんで すね。漢族が勝手に高層ビルを建てただけで、現状は全く違うんですよ。」

せめて報道は真実を伝えてほしいと彼は訴える。

確かに中国は一時期、ウィグル人の出国を禁止し、外国人も入国できない状況があった。

それは当時のソ連との関係悪化がもたらした政治的緊張のせいだ と理解している。

しかしウィグルをはじめカザフスタン、ウズベキスタン、キルギス共和国などの、同じ言語と宗教の民族同士であれば、親戚訪問や墓参などを辞めろと言ってもできるはずがないのだ。

もともと中央アジアの民族は遊牧民が多く、国境意識も国家への帰属意識も少ないのだから。

その後一転して、いわゆるウィグルの隔離政策が解放されたのは、地下資源開発のために外国の資本と技術が必要と判断した中国の政治的思惑ではなかったか?いつも政治に翻弄され虐げられるウィグルの悲しみがここにあるのだ。

「中国がウィグルで画策するのはウィグル人の洗脳と民族の撲滅です。」

イリハムさんの口調が熱を帯びてきた。

「私たちは小学校から中国語の授業を受け、ウィグル語は禁止されました。学校から帰ってウィグル語を教えるウィグル人の先生のもとに行きましたが、ある日その先生は公安当局に連行されました。先生はウィグルの文化を忘れる んじゃないと、無償で言葉を教えてくれていたのに。だから夜両親から口伝えで学び必死に言葉を覚えたのです。また宗教は人間を毒する麻薬であり、神を信じ、ヘジャブというスカーフで顔を隠すことや、ヒゲを生やすなどイスラム 的な恰好をすることは後ろめたい人間がすること、劣った人間のすることであるといわれました。そうでしょうか?私の両親は決して劣った人間じゃない。」

イリハムさんの怒りはさらに続き、

「イスラム教徒からの改宗を促されますから、みなそのような振りをするんですが、中には信仰心の篤い人もいて、そんな人は法外な罰金を課されたり、戸籍を抹消されてしまうんです。とくに高齢の人ほど強い信仰心を持っているので虐げられることが多く、それを見た一族の中の若者たちが耐え切れなくなって漢族といさかいになってしまう。そうするとその一族はテロリストと認定されて家を焼かれて惨殺されてしまう。毎日のようにそのような事件が起き、信仰心の篤いウィグル人が殺され続けています。これが現実なんですよ。」

私は返す言葉がなかった。さらにイリハムさんは悲しそうな目で語った。

「なんと言っても許せないのは、ウィグルで実施した中国の核実験です。 1996年までの中国の合計48回のウィグルにおける核実験の爆発威力や放射線量、気象データや人口密度などを基礎データとした、日本の高名な核防護学者の札幌医科大学高田純教授の調査では、2002年8月以降、中国がウィグル地区で実施した核実験によって、ウィグル人を中心に約19万人が急死し、急性放射線障害などの健康被害者は129万人にのぼり、そのうち、死産や奇形など胎児への影響が3万5千人以上、白血病が3700人以上、甲状腺がんは1万3千人以上に達すると発表されているんです。 とくにメガトン級の核爆発では高エネルギーの『核の砂』が大量に発生、東京都の136倍に相当する広範囲に及んだのです。中国の核実験は核防護策がずさんで、被災したウィグル人への医療ケアも施されずに、実は広島原爆被害の4倍を超える被害者を出しているんですよ。 調査なさった高田教授もおっしゃっています『人道的にもこれほどひどい例はない。中国政府の情報の隠蔽も加えて、これは国家犯罪にほかならない』と。 この事実を詳しく知る日本人は少ないのではないでしょうか。それでもウィグル人は耐えろ、中国国家の発展のために尽くせというんでしょうか。」

イリハムさんをはじめとするウィグルの人々の嘆きが私の心に突き刺さる。

なんということであろうか。

我が身に置き換えて、もし私がその立場に居たとしたら、はたしてどういう思想と行動をとるだろうか。

私は重苦しい雰囲気を変えるためか、いたたまれなくなったためか、

「外に出ようか。」

と、声をかけ3人で車外に出た。いつの間にか小雨は上がり、青々とした緑い っぱいの平尾台が木漏れ日を浴びて悠然と広がっていた。

 

それにしても、イリハムさんとナディアは私に何を求めているのだろうか。

いや私に何をしてもらいたいのだろうか。

私は率直に聞いてみることにした。

「私が深く知らない話でとても衝撃的だったよ。ところでそれでお二人は 私に何をしてほしいの?」

何か言いたそうに口元を動かしかけたナディアを遮って、イリハムさんが穏やかな口調でこう言った。

「ごめんなさい。あなたに何をしてほしいかなどありません。ただ私たちの 置かれている現状を知ってもらいたかった。心ある日本人の方に私たちの活動を理解していただきたかった。ただそれだけです。」

そういって彼はまた頭をペコリと下げた。

帰りの車中、食事でもと誘った私だったが、

「ありがとうございます。でもこの後広島でまた私たちの会合があるので。」

と、彼は丁重に断り、私は無理強いせずに小倉駅まで送ることにした。

小倉駅でイリハムさんは、何度もペコリとしながら手を振って上りの新幹線に乗った。

ナディアは、送ろうかという私の誘いを断って高速バスで福岡へ帰るといった。

少しでも安い運賃でお金を使わないように、また私に迷惑をかけたくないとの配慮だったんだろう。

私は小倉駅前の高速バス乗り場でナディアを降した。

「今日はありがとうございました。」

彼女は深々と頭を下げた。

 

私は何もできない自分が情けなかったが、さりとて何ができるかと自問すればその答えは容易ではない。

張さんのように、うーん、難しいなと、繰り返すしかすべはなかった。

 

その4日後の早朝、けたたましく携帯電話が鳴った。

ナディアだった。

「モシモシ…。ナディアです。イリハムさんが、イリハムさんが死にました!殺されました!」

「ええっ?なんだって!死んだって?」

以下、次号 (M・F)

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