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~秋季号~  老龍口(ラオロンコウ)

2014年10月01日

筆者の友人に中国瀋陽(しんよう)の出身者がいる。彼は東北部の人間らしく、大柄で色白、何より、明るく豪放な性格である。

 

その彼が再来日する際に「老龍口」という酒瓶をぶら下げてきた。筆者が、

「ヒツジ肉の塩茹でと白酒(パイチュウ)は合うね。」

と話した内容を憶えていて、白酒なら我が故郷のこの酒が一番と、土産に持って来てくれたのである。

 

 

この老龍口は、清・康熙元年 (1662年)に創業し350年 の歴史を誇る瀋陽市天江老龍口醸 造有限公司の製品である。 アルコール度数42度~50度。 焼酎と同じく、高粱やトウモロコ シなどの穀物を原料にした蒸留酒 である。

 

この酒の名前はある酒屋の主人 に救けられた一人の若者に由来する。

このような逸話は、“黄鶴楼”を はじめ中国で多くあり、大部分が 道教を下地とした“仙人様モノ”であるが、なぜか心惹かれるのもまた事実。

 

これからその逸話を掲載させていただく。もちろん内容は「瀋陽伝説故事選」からの転載であることをお断りしながら。 少し長くなりますので、お手元の焼酎でも、日本酒でも、ウィスキーでも、チビチビ飲みながらご笑読いただければ幸いである。

 

老龍口


瀋陽がまだ盛京(せいけい)と呼ばれていた頃のことである。小東辺門の外に1人の貧しい秀才が住んでいた。名を呉有蘭(ごゆうらん)といい、山西の出身で、50歳をとっくに過ぎながら官職につくこともできず、寺子屋を開いて子供達に読み書きを教えて暮らしていた。

長年連れ添った妻との間には小鳳(しょうほう)という17歳になる娘が1人いるだけであった。

この小鳳、生まれつき聡明な上に手先が器用で、針仕事をしては家計を助けたので、呉家は貧しくはあったが、それなりに暮らすことができていた。

 

ある日、寺子屋で呉有蘭が教鞭を取っていると、小鳳が嬉しそうにやって来た。

「お父様、お客様がいらっしゃったわ」

お客と聞いても呉有蘭に心当たりはなかった。他郷から盛京に流れてきた彼には、当地に知り合いらしい知り合いなどいなかったのである。

「小鳳や、いったい誰が訪ねてきたというんだね」

「孟のお兄様よ、山西からいらしたの」

「ああ、仙洲(せんしゅう)か」

呉有蘭の妹は同じ山西の孟家に嫁いで息子を生んだ。呉有蘭の甥になる。それが仙洲である。

小鳳について急いで家に戻ると、客間で一人の青年が待っていた。歳は22、3、キリっとした眉元の爽やかな好青年である。これが呉有蘭の甥の孟仙洲(もうせんしゅう)であった。

伯父の姿を認めた仙洲は急いで立ち上がると、呉有蘭の前に進み出て挨拶をした。一通り挨拶を済ませた後、席についてから妹一家の近況を訊ねた。

「お蔭様で父も母も息災にしております」

最後に妹夫婦に会ったのはいつのことだったろう、と記憶の糸を手繰りながら呉有蘭はうなずいた。その時、呉有蘭は甥が科挙試験(官僚になるための国家試験)を目指して勉強していたことを思い出した。

「ところで学業の方はどうかね?」

仙洲はポリポリとうなじを掻きながら、さも言いにくそうに頭を下げた。

「伯父上には根性なしと罵られるかもしれませんね。実はそちらの方では食べていけないのでさっさと見切りをつけ、3年前から商いに手を染めております。 今回は両親に山西の黒酢と絹物を盛京で売りさばくよう命じられました。盛京ではこの二品が珍重されているとのことですし、伯父上にお会いすることもできますので」

それから部屋を見回して、仙洲は続けた。

「それにしても失礼ながら、こんなに困窮なされているとは思いもよりませなんだ」

甥の言葉に呉有蘭は深くため息をついた。

「女房と娘がやりくりしてくれているお蔭で何とか飢えないで済んでおる。ワシの生活は2人に寄り掛かりっぱなしというわけだ┅。仙洲や、荷物はどうしておる?こちらに運んでくればよいのに」

「商品はもう売ってしまいました。荷物は宿屋にありますが、身の回りの物だ けなのですぐに持って来られますよ。伯父上、私は盛京を訪ねたのは初めてですが、まことに繁盛してますね。市場はどこも人でごった返していましたよ。ここで店を開かないという手はないと思うんです。伯父上がついていて下されば私も安心ですし、そうすれば伯父上も、わずかな月謝のためにあくせく働く必要ありませんし。落ち着いたら両親を山西から呼び寄せて、親戚同士一緒に住めばいいでしょう。伯父上、いかがです?」

呉有蘭は黙って甥の言葉に耳を傾けていたが、思いもよらぬ提案を持ちかけられてしばらく考え込んだ。

「皆で一緒に住むことに否やはないが、しかしなあ、ワシは『子曰く』を唱えるしか能がないでのう、商いはトンと不案内なんだが…。それに商売を始め るにしても条件のよい場所を選ばぬとなあ」

ちょうどそこへ歓迎の酒を運んで来た小鳳が口を挟んだ。

「お父様、通りの向こうの造り酒屋が売りに出たでしょう?あれをお兄様に見てもらったら…」

呉有蘭は顔をしかめて首を横に振った。

「ダメダメ、あれはダメだ。あそこの酒ほどまずいものはないぞ。結局、酒が 売れずじまいで、元手も無くしそうになったから、売りに出ただけじゃないか。あんな店買うだけ無駄じゃよ」

仙洲の方はこの話に興味を持ったようで、小鳳の言葉に身を乗り出した。

「伯父上、物事が成功するかどうかは人のやり方次第ですよ。今の持ち主で売れなくても、私達なら売れるかもしれません。それに売れる、売れないは、時の景気にも関係ありますし、また売り方に問題があったのかもしれないし。それはそうと、いくらで売りに出ているのですか?」

「三百両よ」

小鳳が元気よく答えた。

「李おばさんから聞いたわ。三百両ですって」

 

翌日、仙洲は早速、呉有蘭を仲立ちとして通り向こうの造り酒屋を買い取る手続きをとった。杜氏(とうじ)や従業員から道具類、材料まで丸ごと引き取ったのである。

仙洲は自分の持ち物となった酒屋を取り巻く環境に改めて目をやった。

東は兵営に面し、西は市場になっていた。北は空き地だが、そこには馬の飼料になる草が植えられている。その隣は寺である。

仙洲の見る限り、立地条件は悪くはなかった。むしろ最上といってもよかった。従業員の態度もよいし、道具だって揃っている。これだけ条件が揃っていて、なぜこの酒屋は繁盛しなかったのだろう。

仙洲の疑問は、井戸の水を一口飲んだ途端、疑念は解けた。水は苦くて渋かった。酒の命の水がこれでは芳醇な酒など造れるはずがなかった。これでは売れないはずである。

別の井戸を掘ろうかとも思ったが、杜氏や近所の者の話によるとこの周辺数十里はどこも苦い水しか出ないとのこと。

ならばもっと深く掘れば何とかなるかと思えば、この酒屋の井戸はどんなに深く掘っても、苦い水しか出てこなかったと聞かされ、仙洲は早くも己の短慮を後悔した。

酒屋を営もうにもこれでは無理ではないか。買い取って早々に商売替えすることを考えなければならなくなったのである。

しかし、それには金がかかった。手持ちの金はこの使えない酒屋を買い取るのに、はたいてしまった。この盛京で頼れるのは、商売に関してずぶの素人で、書物はあるが金のない伯父一家だけ、困った。事実上の孤立無援であった。

 

 

造り酒屋を買い取ってからというもの、仙洲はその 濃い眉をギュッと寄せて物思いに沈んだ。寝食もそ っちのけで、買い取った酒屋をどうするべきか考え込んでいたのである。

 

 

呉有蘭は、甥が気鬱のあまり体を壊すのではないか と心配になった。

そこで娘の小鳳に命じて甥を街へ 連れ出して気晴らしをさせることにした。

小鳳と仙洲は連れ立って小東門から盛京城内に入ると、四平街を散策して歩いた。

四平街は盛京一の繁華街で、休日ということもあって沢山の人でごった返していた。仙洲は小鳳のシャキッと伸びた背を見ながら歩いた。盛京にはこれほどたくさん人がいて、いくらでも商売のチャンスに出会えるのに、よりによって自分はあんな使えない酒屋を買い取ってしまったのである。仙洲の気持ちはますます暗くなった。

 

その時、

「仙洲兄、仙洲兄ではありませんか?」

突然、仙洲の上着の袖を引っ張る者がある。

振り返ると、白い絹の長衣を着た20歳余り の若者が満面に笑みを浮かべて立っていた。

仙洲は、この瀟洒(しょうしゃ)な若者に見覚えがあるようなのだが、誰なのか思い出せなかった。そこで、こちらも腰を低くして笑いかけた。

「いやはや、失礼いたしました。えっと、あなたは…」

すると、若者は、

「憶えていらっしゃるでしょうか。私ですよ、敖(ごう)ですよ。思い出してもらえますか?」

若者に名乗られて仙洲はハッとした。

「敖殿でしたか。立派な身なりをなさっておられたので、まるで見違えましたぞ。いつそんなに羽振りがよくなられたので?」

話は少し遡(さかのぼ)る。山西から盛京に来る途中、仙洲は山海関(さんかいかん)の宿屋で一人の貧しい学生が部屋代を払えず、宿の小僧に罵られているのを見かけた。

気の毒に思った仙洲は学生の部屋代を払ってやった上に、食事までおごってやった。

学生は敖と名乗り、遼北(りょうほく)の出身で科挙試験を受けに北京へ行ったが落第してしまった。仕方なく帰宅する途中、この宿に泊まったところ、病に臥せる身となり進もうにも進めなくなった。1ケ月も経つ内に、持参した金を使い果たしてしまい、部屋代にも事欠く身となってしまったとのことであった。

 

話してみると非常に洒脱(しゃだつ)な人物で、すこぶるウマが合う。そこで、仙洲は敖の生活の面倒を見る代わりに、盛京までの道案内を頼んだのであった。

盛京に到着してから、2人はそれぞれ親戚を訪ねるということで別れた。確か敖は瀋水の畔(ほとり)に住む親戚を訪ねると言っていた。

仙洲は敖と再会できるとは思ってもみなかったし、また敖の身なりがあまりにも立派になっていたので、見違えてしまったのであった。すっかり嬉しくなった仙洲は敖を呉有蘭の家に連れて帰ることにした。

 

呉有蘭は甥の連れて来た友人を歓待した。敖は容姿、挙措(きょそ)ともに申し分ないだけでなく、学識豊かであったので呉有蘭ともすこぶる話が弾んだ。呉有蘭は乏しい財布をはたいて、敖をもてなした。いつもは質素な食事しか並ばない呉家の食卓に、酒や肉料理が運び込まれた。

盃の応酬の回数もわからなくなった頃、敖が仙洲に盃を捧げながら言った。

「仙洲兄、何か心配事でもおありですか?心ここにあらずという風ですな」

仙洲は問われて、大きくため息をついた。

「憂いというものは隠しおおせるものではありませんな」

そして、自分の買い取った造り酒屋のことを話して聞かせた。

話を聞いた敖は、のけぞって笑い出した。

「なあんだ、そんなことですか。それならご心配には及びませんよ」

そう言って胸をポンと叩いた。

 

仙洲は自分が寝食そっちのけで悩んでいた問題を、敖が笑い飛ばしたのでいささかムッときたが、何とか怒りを抑えた。敖は仙洲が気分を害したのを見ると、笑うのをやめて言った。

「仙洲兄、失礼いたしました。いえ、実は私、少々風水の心得があるのです。もしかしたらお力添えできるかもしれません。こんな些細なことで仙洲兄にご恩返しができると思って、つい笑ってしまいました。よい水の出る井戸を見つけて差し上げましょう。そうすれば、商売のご繁盛、間違いありませんよ」

藁(わら)にもすがりたい心持ちの仙洲は、敖の言葉に喜んだ。早速、敖の腕を取ると、例の井戸がある場所へ連れて行った。呉有蘭もそれに続いた。

 

敖は酒屋の門口で立ち止まると、仙洲にたずねた。

「屋号は何と言うのです?」

「屋号はまだつけてないのです。お手数ですが、賢弟につけていただけないでしょうか?」  敖は頷(うなず)いて、遠くの山々に目をやった。

「そうですね…、ここからは東に天柱山が望めますね。あの山は遠く、長白山に連なるんですよ。ご存知でしょうが、長白山で大清皇帝の先祖は生まれたと言われております。ここは一つうんとめでたい名前をつけましょう。そうだ、万隆泉(ワンロンチュワン)はどうかしら?」

「“万物の興隆する泉”か、ううむ、素晴らしい!」

そう唸ったのは呉有蘭であった。

「そうですよ、“生意興隆”(注:商売繁盛の意)ですよ」

敖が仙洲に向かって片目をつぶって見せた。

呉有蘭は腕組みしてしきりに頷いていたが、やがて大きく一つ頷いた。

「よし、思いついたぞ。商標は“老龍口”(ラオロンコウ)でどうじゃ?ここは 盛京城の東辺門に面しておる。すなわち東門を守るのは龍じゃから、龍の門ということで老龍口じゃ」

仙洲は、屋号と商標を繰り返し呟いていた。

「万隆泉…老龍口、…万隆泉、老龍口…。 いいぞ、いいぞ!」

 

3人は話しながら酒屋の中をぐるりと歩いた。 そして、気が付くと例の井戸の前に来ていた。井戸を目にすると、さっきまで盛り上がっていた仙洲の気持ちは一挙に落ち込んだ。

どんなに立派な屋号や商標をつけても、この井戸の水が苦い限り、酒は売れないのである。 ちょうど、杜氏や従業員たちが、若い風水師が井戸を何とかするらしいという話を聞きつけて集まってきた。

敖は井戸の周りを一巡りすると、ニッコリ笑って言った。

「なあんだ、この井戸の水はたいしたものですよ。苦いなんてわけがあるはずないじゃないですか?」

集まった人々はドッと笑った。誰かが言った。

「大した風水先生だなあ」

敖は誰も自分の言葉を信じないのを見て腹を立てた。

「君達は私の言うことを信じないのかい?よし、待っていたまえ。下りて行って、うまい水を汲んできてやろう」

そう言うやいなや、敖は井戸の中へ身を躍らせた。思わぬ展開に一同びっくりして、声も出なければ手も出ない。そのまま凍りついたように立ちつくしていた。

すると、

ゴゴッ…ゴゴッ…ゴゴッー。

井戸の底から何かが湧き起こるような音が響いた。その音はだんだんと強くなってくる。まるで遠くで轟(とどろ)く雷鳴のようである。皆が固唾(かたず)を飲んで井戸を見守っていると音はさらにだんだん 大きくなる。そして、突如、巨大な水柱が一気に噴き上 がったのである。これには一同、腰を抜かすほどたまげ てしまった。

噴き上がった水柱はそのまま中空でみごとな白雲と 化した。よくみるとその白雲の上に端座するのは敖で あった。白雲の上から敖は仙洲に向かってニッコリ微 笑みかけると、そのまま西北に向かってゆっくり飛び去った。

その時、空から絹の帯が一本、ヒラヒラと舞い落ちた。 仙洲が拾い上げてみると、そこには詩が一首記されていた。

 

 

東海三太子、遼河小龍王(東海の三太子、遼河(りょうが)の小龍王)

感恩脱劫難、報以万隆泉(災難を救いし恩に、万隆泉で報いる)

 

不思議なことにあれほど苦かった井戸の水は、甘く芳醇なものに変わっていた。その上、どんなに汲んでも水が涸(か)れるということがなかった。

この水で醸した酒はまことに美味で、またたく間に老龍口の評判は高まり、そして今日に至るのである。

 

万隆泉の水脈については、もう一つ不思議な話が伝えられている。

ある夏の日、酒屋の手代が出張で遠出をし、盛京に戻ってくる途中、遼河のほとりを通りかかった。ふと河に目をやると、天秤棒が一本流れてきたので、手代はそれを拾って持ち帰った。手代の妻は天秤棒を見るなり言った。

「それ、うちの天秤棒じゃないの。一昨日(おととい)、お店の井戸で水を汲 んでる時にうっかりして落としたんだけど、あんた、どうして持ってるの?」

このことがあってから、人々はこの井戸が遠く遼河につながっているという ようになった。

そういうわけでいつしか、井戸を龍泉水(りゅうせんすい)と 呼ぶようになったのである。 この故事は、困っている友がいたら、無心で援けを施せばよい、やがて大成した友は、幸運を運んでくるというエピソードである。 こういう言い伝えは、耳にする人々の心をほのぼのとし、心を温かくさせてくれるのだ。                    完(M・F)

 

 

ところで、最初に触れた“黄鶴楼の故事”について、

「知らない人もいますよ、書きましょうよ」と周りから煽り立てられた。

元来おだてに弱い筆者だけに、続けて筆を握ることとする。次回は黄鶴楼。 またご笑読くだされば幸いである。

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