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沖縄に寄り添う

2023年01月16日

1945年(昭和20年)4月1日、アメリカ軍は沖縄本島読谷に上陸。

やがて日本軍の司令部があった首里は陥落。

南部の糸満を主戦場とした。

県民の実に4人に1人が亡くなる激戦で、県民は筆舌に尽くしがたい苦難を体験した。

8月15日、日本は無条件降伏。

戦争とはかくも残酷で悲惨なものである。

時は大きく巡って2007年(平成19年)10月、私たちは読谷文化センターで公演したことがある。

国道58号線を北上。

広大な嘉手納基地のフェンス沿いを右手に走り会場へ着いた。

当時を思い出しても生徒のみなさんの歓迎ぶりはものすごく、会場内は指笛や歓声が途切れなかった。

帰途、楽屋口で出待ちする多くの生徒たち。

笑顔で手を振り、名残を惜しんで動き出した車を追いかける生徒も数多くいた。

しかし生徒のみなさんがこんなに歓迎してくれる沖縄なのに、予算や経費面の問題を理由に、私たちはビジネス対象として、以後、沖縄訪問することを躊躇していた。

その私たちが、未だコロナ禍であえぐ昨年末、ご縁をいただき久しぶりの沖縄市民会館公演を承った。

客席の盛り上がりや生徒のみなさんのきらきらした瞳に接し、こんなに喜んでいただけるなんて、待っていてくださったんですね。

コロナ禍、辛かったですね。

でも、もう大丈夫、前を向いて一緒に頑張りましょう。

公演終了後、導かれるように、私たちは今までの考えを180度ガラリと変えた。

変えねばならないと思った。

終の棲家ならぬ“終の仕事”というのがあるとすれば、今年から地元九州はもちろん、沖縄を最優先する仕事に定めようと思った。

世界に蔓延するコロナ禍をはじめ、ウクライナ戦争、中東イエメン、リビア、アフガンの紛争、中国の台湾進攻?や北朝鮮問題など、何かとかまびすしい昨今、日本本土復帰51年目を歩むこの地で、先の大戦で悲惨な激戦地になったこの地に育つ高校生と一緒に、反戦と平和の意義を考え、なぜ日中友好なのか、なぜアジア親善なのかを考えるすべとして公演活動を行おうと思った。

と同時に、明るくおおらかなこの地がもつ琉球時代からの政治・経済・外交・文化交流などの諸課題において、互いが助け合い、協力し合う”ユイマール”の精神でみせる抜群な“バランス感覚”を、もう一度学び直したいとも思った。

沖縄に寄り添う心があるのなら、思うだけでなく、実行し、確実に成果を出さなければならない。

効率や利益などを優先する費用対効果などという“しばり”は二の次だ。

かの利休は云った。

「家は漏らぬほど、食は飢えぬほどでよろし。」

ビジネスとして厳しい予算査定や、かかる経費負担は覚悟の上。

腹決めて、沖縄にかかわる1年としよう。

そう決めた。

明後日はその思いを胸に福岡空港から那覇へ向けて発つ。

私たちの決意を真摯にお伝えすることから作業を進めたい。

寄り添い、分かり合えたいと思う。

咲き乱れる沖縄の名花ブーゲンビリアの花言葉は「passion(情熱)」。「あなたしか見えない」のだから。

“沖縄に寄り添う” への2件のフィードバック

  1. べーさん より:

    島に住む者として感無量。嬉しいですね。

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