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~春季号~ 足るを知る者は富む

2013年03月11日

未曾有の東日本大震災からはや3年目の春を迎えた。

2011年3月11日午後2時46分に発生した、この大震災による死者、行方不明者は3.4万人、現在でも避難生活を余儀なくされている被災者は、31.5万人に上るという(※筆者注 本年3月11日現在)

「千年に一度の大災害なら千年に一度の復旧・復興スピードで」陸前高田市長のコメントではないが、いまだに遅々として進まない復旧・復興事業に苛立ちを隠せないのは筆者だけではあるまい。 



思えば大震災発生直後、在日中国やアジアの友人たちから筆者に「航空券を取って欲しい」という悲鳴にも似た依頼が殺到した。成田、関空はおろか、地方空港でも中国やアジア諸国への便はまったく取れないという。 

大震災に慌てふためく彼らに「日本は大丈夫だよ、心配するな」と諭した私だったが、彼らの不安は尋常ではない。その理由はその後、理解できた。 

大震災発生後の被災地の映像が、ネットや衛星テレビにより、リアルタイムで全中国や全アジアに流れたのである。とくに中国の報道は日本ほど甘くない。死 体がごろごろ転がったり、波間にぷかぷか浮かぶさまを視て、中国に残る家族はパニックになったのだ。「日本は全滅した」との噂が一気に流れた。それほど衝 撃的な未曾有の大地震と大津波であったのである。 

ところで被災後、こんなエピソードが新聞に載った。憶えていらっしゃるだろうか。2011年3月24日。お札がぎっしり詰まったスーツケースが上海の日本総領事館に届けられたことを。

送り主は中国企業六十数社と中国人従業員の有志。大震災以後、このような形でスーツケースが届けられたのは3度目になると、日本のメディアは報じた。

持ち込まれたスーツケースの中は100元札が1千枚の束になってつめられており、以前に届けられた金額とあわせると、443万元(筆者注 当時のレート 約5500万円)にも達したということだ。

「四川大地震では日本が真っ先に、物心両面にわたって支援してくれた。今度は我々の出番だ」 
彼らは口々にそう話したという。 


それにしても現金を直接持ち込むなんて…。
もっともそこについては説明を要するかもしれない。結論から言えば、基本的に中国人は銀行を信用していない。なぜか?預金高が多いと、その出所を当局か ら監視されるからである。中国の警察官でも教師でも役人でも給与は驚くほど少ないのである。ただし表向きは…。

しかしいまの中国人の、それも一部は大金を持っている。それはどうしてか?そこは深く考えないことにしよう。彼らは商才があるとだけ述べることとする。 そうなんです。皆様の推測どおりです。さて先を急ぎましょう。基本的に国家を信用しない中国人は、いわゆる“タンス預金”をよくするのである。 


ところで大震災後、救援活動のため外国人として最初に岩手県大船渡市で活動した、中国地震局国際協力部の徐志忠氏は、「現地の光景を目の当たりにして、 震撼させられた」といいつつ、被災地で粛々と秩序を守る地域住民達の姿が「もっとも印象に残っている」と振り返った。

来日の際、持ち込んだ食料や飲料水が底をつき、現地で買出しに行ったが、「被災地の商店はどこも代金を受け取らず、中国の救援隊?ありがとう、頑張って くださいね」と逆に激励され、ついには「お金を受け取らないので申し訳なくて買出しに行けなくなりました」と、笑いながら語ったという。


徐氏は、今回の大地震で、日本の警報システムや避難訓練などは大いに参考になったらしい。またガソリンスタンドで長蛇の列ができてもクラクションを鳴ら さず、横入りする車も見られなかった姿にも感心したということだ。「日本人の礼儀正さ、他を思いやり、譲り合う心」はすばらしい、中国人も見習いたいと絶 賛したのである。

ところで地震、津波は天災だが、厄介なのは原発事故である。これは人災といってもいいだろう。なぜなら原子力は現代文明が生み出した夢のエネルギー、絶 対安心、安全と豪語した人間の科学技術の進歩に対する驕りが、もろくも破綻した象徴だからである。いわば地球人が、これまで恩恵を受けてきた太陽の力に、 多額の費用と英知を積み重ねて挑み、コテンパンにうちのめされたのである。うちのめされた言い訳に、「想定外」などと言ってはならない。人間が想定する範 囲をはるかに超えたパワーを自然は有しているのだから。

今こそ太陽をはじめとする自然の偉大さに、あらためて私たちは恐れおののき、ひれ伏さなければならない。

もう自然を冒涜するような、科学技術の悪しき進展は止めよう。自然を敬い、自然と共生するためだけに科学技術の英知を結集しよう。ただそうすれば、たぶ ん、私たちの物質的生活水準は低下するだろう。しかしまだまだ私たちは、他国に比べても豊かで満ち足りているのだから、老子ではないが「足るを知る」生活 に戻ろうではないか。


考えてみれば資本主義社会は、市場で値段が付くモノしか評価しないシステムといえるのでないか?たとえば人と人が結びつく「絆」とか「思いやり」などと いう感情は、値段のつけようがない、いいかえれば評価できない対象として存在する。したがって値段の付かない、評価の仕様がないモノは軽視され、価値がな いモノとして無視されてきたに等しい。その驕りが、今回ドカーンと襲ってきた。


今からでも遅くない、値段は付かなくても価値があるモノを尊重しよう。心の豊かさを優先する社会を取り戻さなければならない。極論すれば、今の物質的豊 かさを20%削減し、その分を教育の充実と地域コミュニケーションの復活に振り分け、精神的な豊かさを取り戻すべきだ。急がず、あわてず、この国の文化、 芸術、慣習をもう一度見直そう。

物質的に発展することは豊かさの象徴、縮小することは貧しさの始まりとは、勘違いしないほうがいい。そのことは手を抜いたり、堕落することでは決してないのだから。


世界唯一の被爆国として、いま未曾有の原発被曝を被った国として、なにより、戦後68年間も戦争せずに平和を維持してきた国として、日本が歩むべき道は、おのずから決まっていると思うのだが。重ねて述べる。足るを知らなければならない。


またいま問われているのはそれぞれの世界観である。科学技術の進展で人間の幸福を求めてきた西洋的文明発想は、自然の軽視と人種差別と戦争を繰り返しな がら、搾取を強め、環境を破壊し、人類滅亡へ急いでいる。原発事故以前の日本も経済成長の名の下に、その道を踏襲し突っ走ってきた。

しかしもう立ち戻ろうではないか。私たちの精神構造を形作っている、いわば東洋的文明発想とは、自然の恐ろしさを知り、自然を敬い、自然と共存を図りな がら、人類存続の道を探るものではなかったか。そのためのキーワードが「思いやり」であったはずである。繰り返すが、当然思いやりには、他を敬う心、すな わち他を尊重する姿勢が求められるのである。自然を冒涜し、環境を破壊することはもう止めよう。人間が到底、たちうちできない自然という偉大な神を、私た ちは決して怒らせてはならないのだ。

世界は今、冷静に、沈着に、協力し、協調しあいながら、3・11の惨禍を乗り越えるであろう日本人の生き様を、固唾を呑んで見守っている。
(M・F)

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