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~秋季号~ ナディアの青い空…③

2017年10月01日

イワシ雲が空に広がり始めたころ、私は彼と連絡を取った。

彼はネパール人の音楽家である。

彼の奏でるバンスリという竹笛に魅了された私は、公演の仕事では長く彼をリーダーとし、もっとも信頼のおける存在の一人であった。

 

その日、彼、クリシュナ・カルキさんとは長電話となった。

ひと通りのあいさつの後、私は単刀直入に訊いた。

「ところで民族差別の問題をあなたに訊きたいんだけど。ネパールも35の少数民族で構成された国家だし、いろいろとあるんだよね?」

「それはありますよ。私も差別される側の民族の出身だから、いろいろと苦労はしましたよ。とくに子どものころから手放さないバンスリなんて、いわゆる芸能の仕事だから、ネパールでは最低ランクの扱いでね。」

「でも今はそうでもないんでしょう?」

「そうですね。少しはましになったかな。でもボクは日本をはじめ海外で暮らしているからまだいい方なんだよね。おかげで海外から輸入されるCDの中にボクの作品もあるからネパールでは恵まれている方かな。とにかくネパール人は海外の商品に憧れているしね。」

「海外といえば、中国商品の氾濫はすごいでしょう?」

「すごいですよ。もうほとんど中国商品といっていいくらいです。大量に入っていますね。でもよくないこともあるんです。」

「たとえば…?」

「たとえば偽物が多いこと。不良品や粗悪品が多いこと。私は見ればわかるんだが、ネパール人はわからないし、たとえわかっても欲しい商品だし、そんなものだとあきらめて買っていますね。なんといっても安いからね。」

「それにがっかりするのは粗悪なビニールっていうの?あのビニール袋が問題なんだ。たとえばパンを買ってネパール人は食べながら歩く。最後の一口を少し残してそのまま道端に捨てるんですね。」

「もったいない。食べてしまえばいいのに。」

「ところがネパールでは草も木にも聖霊が宿り、虫も家畜も鳥も仲間たちという考えがあるんです。だから人間が食べ物を少し残して与えるんですよ。」

「なるほど、それは美しい、いい考え方ですね。」

「ところが問題はビニール袋。食べ物は他の動物が食べたり、自然と風化して土になりますが、ビニールは土に溶けないからそのまま地面に残ってしまう。ゴミ箱に捨てたらいいじゃないかと思うでしょうが、もともとネパールにはゴミという観念がない。すべてほら、リサイクルするという考え方なんですよ。この世に不要なものはないという考えなんですね。」  「なるほど。ところで差別の話だけど、ネパールでは王政が倒れて民主国家が誕生したけど、まだカースト制度の影響はあるってことだよね。」

「ありますね。それも民主国家といったって、まだまだ。インドの横暴で騙されて、泣かされたネパール人は多いですよ。」

「じゃあネパール人はインド人を憎んでいるわけ?」

「インド人を憎むというか、快く思わないネパール人は多いですね。それは事実としての歴史的な迫害もあるし、正直言うと金持ちのインド人に対する嫉妬もある。むかしは支配したイギリス人に対する反感もあった。でもいまはそうでもないよ。」

「それはどうしてかな。」

「たぶんインドもイギリスも攻めてこないからじゃないの?攻めてきて家族 を殺されたらネパール人は戦うよ。」

「それはそうだよね。攻めて来たら家族を守るために戦うよね。そうなれば民族間の差別も嫉妬も関係ないよ。団結して戦うしかないもんね。いや、ありがとう。クリシュナさん、やはり平和が一番いいね。」

 

受話器を置こうとした私に、これだけは聞いてくれと彼が語った。

「先日ネパールに帰国したんだけど、びっくりしたよ。カトマンズの繁華街はほとんどアメリカやヨーロッパや中国の資本に買い占められ、にょきにょきと高層ビルが建っているんだね。ホテルの値段が高いこと。びっくりしたよ。もちろん普通のネパール人なんて宿泊できるはずがない。これが豊かさの象徴なんだなあ。物価も跳ね上がっているしね。王政のころのネパールも問題があったが、民主化してもこのザマだからね。ネパール人がネパール人の手で、むかしのような民族間の争いやカースト制度のような差別はあっても、なるべく仲裁して、話し合って、仲よくする社会がいいと思うね。」

一気にしゃべるクリシュナさんの心には一種のやるせなさが芽生えているのであろう。

そんな彼自身の憂いも、日本をはじめ海外で暮らすクリシュナさんの自由な身勝手だと、ネパールの友だちから言われた言葉が胸に刺さると言って受話器を置いた。

 

私はもう一人、信頼する韓国人演奏家・キム・ギョンギルさんにも電話した。

キムさんは杖鼓の名手と、私が認める男性である。

彼は在日3世。

高校生の頃突然アイディンティティーにめざめて国籍を韓国にし、通名を日本名から韓国名に変えた人物である。

クリシュナさんと同じ差別の問題について問うと、彼はこう述べた。

 

「そういう問題は在日韓国人・朝鮮人にはつきものですね。あなたもご存じのとおり,日韓併合にともなう創氏改名をはじめとして、この問題はいろいろとあります。ところでなぜいまの時期にこの差別の問題を?また何か研究しているんですか?」

鋭いジョークのうまい彼は、こちらの真意を探ろうとしているようだ。

「いや、別に他意はないよ。あらためて差別とは何か、差別は何をもたらすのかということが気になったから。ほら、歳をとると、気になったら、もうたまらずせっかちになるでしょう?」

「ああ、そうですか?私はあなたほど歳をとってない若造ですが、私もせっかちだから、聞かれるとすぐ答えたくなる。じゃ私の意見を述べさせてもらっていいですか?」

 

彼とはいつもこうだ。

やや斜めに構えて世間を見ているようなところがある 人物だが、その彼が演奏の出番になると無心になり純粋になる。

私にとってそんな彼もまた尊敬できる存在なのである。

 

「結論から言うと、在日韓国人や朝鮮人は日本人から差別や迫害を受けた時期もあり、いまでもこの問題で悩んでいる同胞、つまり在日韓国人や朝鮮人は多いと思いますが、私は彼らと話すときは逆のことも提起しています。 戦前、戦中、戦後と私たちの先祖は苦しい思いをしてきた。しかし私たちがいつも日本人から差別され続けてきたのか?逆に私たちがその境遇に安住して、言葉を変えていうなら甘えて惰性的な生活を過ごしてこなかったか?私が中学生のころ、周りにはブラブラする大人がたくさんいた。後でわかったことだが、彼らの多くは日本から生活保護を貰い、数々の特典を受けながらのうのうと暮らしていた。その時、多くの日本人は歯を食いしばって汗して働いた。いわばその頑張る日本人のおかげで在日同胞は生活できたのではないか?」

「そんなことを言えば、あなたは仲間から袋叩きでしょう。お前は同胞ではないと、それこそ差別されたんじゃないですか?」

「そういったとたん、怒り出す人もいましたね。”オモテへ出ろ!“って。 でも理解する人もいましたよ。私たちは日本に甘えたくない。私たちは日本人と共生する道を探るべきだという女性もいましたね。」

「わかった。それがあなたの奥さんでしょう。」

「そうなんです。彼女には教えられることが多いです。彼女は私よりもっと苦労したんですよ。」

「そうなの。それは、たとえばどういうことで?」

「彼女の父方は済州島の出身です。ご存知のように韓国では済州島出身者は 一段と低く見られ、いわゆる韓国内でも差別を受ける対象になります。それが、話は長くなりますので割愛しますが、日本に来て韓国・朝鮮人同胞の輪に入ったとき、どういう現象がおきますか?

同胞のつながりから仕事にありついても、下請けのまた下請け。いわゆる最 低限の生活です。しかし彼女のお父さんやお母さんは偉かった。愚痴一つこぼさず黙々と働いた。もちろん優しい日本人に生活面で助けられもした。 やがて同胞の社会からも認められる存在となり、いまは大阪で年老いた同胞のための老人介護ホームを運営するまでになりました。 もちろん日本人の入居も歓迎ですよ。実際に隣り近所の日本人と長い交際になり、互いに年老いた者同士がお金を出し合って入居している事例もあるようです。」

「いい話だな。これこそ国際交流だな。」

「そうですよね。日本人が、韓国人が、朝鮮人がと、張り合い、いがみ合う時代はとっくに終わっているんですよ。 これからはあなたもよくいう共生の時代。お互いがお互いの違いを分かりあって、それを尊重しながら、ともに仲良く暮らしてゆけば、差別なんてなくなると思うんですけどね。」

あえて私は嫌味を言う。

「しかし、アイディンティティーは変えようがないよ。ふるさとの川や山は動かすわけにいかないんだから。」

「言いたいんでしょう?どんなに時代は変わっても、民族が持つ文化や芸術は変わらない。それを継承し、発展させるのが、現代を生きる私たちの仕事だって。」

「イエス!」

 

キム・ギョンギルさんとの会話は屁理屈が多いようで、なぜか最後はすっきりとまとまる。

彼の頭のシャープさとお互いの信頼感にその源はあるようだ。

 

過去にキム・ギョンギルさんから聞いたことがある。

彼はあるとき、仲の良かった同胞の友人と喧嘩になったそうだ。

友人は朝鮮総連系の思想の持ち主で、活発に思想闘争をやり、日本政府の理不尽さを追究し、返す刀で大韓民団系の仲間と小競り合いを続けていた。

そんな彼とキムさんは対峙した。

「君の思想や信条には共感する。君の祖国愛にも脱帽する。したがって訊きたい。ならばなぜ祖国の言語を君は話せないのか?なぜ祖国の国民と親しく交流しないのか?」

この鋭い質問に友人は怒りの拳を握りしめながら、下を向くしかなかったと いう。

 

キムさんは高校生のころ両親の反対を振り切り、国籍を韓国にし、通名を改めた。

そして近くに住む朝鮮高級学校の元教師について徹底的に朝鮮語を学んだ。

なぜならキムさんの両親はカタコトの朝鮮語しか喋れなかったのである。

合間にアルバイトで旅費をためて韓国へ渡った。

そして積極的に韓国の人と語り合い、朝鮮語をマスターした。

今ではほぼ完ぺきに朝鮮語を話す。

わずか高校生時代の2年間のことである。

その後は先祖の墓を探り出し墓参を続けた。

墓参を続ける中でキムさんの心に韓国人としての誇りが芽生えたと、彼は私に語った。

私はそれを彼のアイディンティティーの旅と揶揄したが、そんなストイックなキムさんだから私は信頼しているのだ。

「あなたが言っていたでしょう?日本海の波のように、自由に群れ飛ぶカモメのように、国境なんてないんですよね。少なくても人の心に国境なんてないんだから。」

「おっしゃる通りです。ごめんなさいね、長話になった。大変参考になったよ。また来月からの仕事、よろしくお願いします。」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします。」

礼儀正しいキム・ギョンギルさんが、受話器を置きつつ、一礼している姿が目に浮かんだ。

 

それから数日後、私は東京に出張した。

業務を早めに終わらせて新宿で彼と待ち合わせた。

彼は張燕国という中国人の書法家。

人格、識見ともに私が尊敬する中国人芸術家である。

北京の故宮博物院勤務の後、26年前に彼も東京の大学へ留学した。

その後努力を重ね日本の特別在留許可を得て、今は東京に在住している。

彼は私にだけは本音を語る古い友人だ。

新宿で落ち合い、とある居酒屋に入った私たちは、まずはお互いの健康や家族の消息を報告しあい、いきなり焼酎のロックで乾杯した。

「朋あり遠方より来る、また楽しからずや、だね。あなたに逢えて嬉しいよ。」

張燕国さんは、論語にある孔子の言葉を持ち出し満面の笑みを浮かべた。

「歳はとってもお互いに、志在千里、だよ。」

私はすかさず、曹操の歩出夏門行の一部分を持ち出し、老いた馬になったと はいえ、千里は無理でも走る気持だけは旺盛にあると応えた。

「まさに肝胆相照らす、だな。私たちは考え方がお互い照しあうように、よく通じ分りあえる仲ですから。」

「そうですね。張さんとは付き合い長いですもんね。」

以前、古代中国では、人間は腹の中で物事を考えるとされていたと、張さんから聞いたことを思い出した。

腹の中で考えるなら、五臓六腑を喜ばせなければならないんじゃないか?とっさに私は、 「肝胆といえば、あなたは肝臓?そうすると私は胆嚢かな?今宵は大いにお互いの内臓を酔わせましょう、ぞ。」

と、ジョークを飛ばした。

 

友人同士の他愛もないやり取りが落ち着いたころを見定めて、私はいきなり切り出した。  「ところであなたの所見をうかがいたい。いま中国とウィグルの関係はどうなっているんだろうか。これからどうなってゆくのだろうか。」

「うーん、難しいね。私も心配はしているが、この問題は難しいよ。」

彼は困ったときにするしぐさで、左手で左の耳たぶをさすりだした。

「それでそのことは、あなたにとって何か関係があるの?」

と、彼は耳たぶをさすりながら、上目づかいで私に質問を投げかけた。

私はウィグル人のナディアの件を正直に話した。

「うーん、難しいな。私は中国人だから、いや漢民族だから、正直に言えば漢族が繁栄することは望ましいんだが、この民族問題はやっかいだな。うーん、そうだな、なぜウィグルと揉めるかといえば、まずは宗教が関係していると思うな。」

やはり、ね、イスラムかと私は相槌を打つ。

「そう。中国が最も怖いのは宗教なんだよ。この場合の中国は、あの体制支配ということなんだが、あの体制自体が強力な宗教みたいなもんだろ?その体 制の訓えの上を行く宗教なんて認められるわけがない。」

張さんは、中国のいわゆる一党独裁の政治体制のことを、あの体制という表現を使った。

彼ほどの人物でも面と向かって党名を挙げることは憚れるらしい。

それだけ独裁政権は強力な権力を有しているということだ。

「次に地勢だな。ウィグルは中央アジアの出入口だし、むかしはシルクロードで東西の文化や文明が往来したけど、いまはむしろ異文化の流入が怖いんだな。」

「それはわかるけど、この国際化時代に中国だけが繁栄するなんてありえな いじゃないか。統治に困るようなら、いっそウィグルもチベットも切り離したらいい。」

私は愚問だと知りながら、あえて彼を挑発し反論を待つ。

「うーん。それもありとは思うけど、こういう意見もあるんだな。新中国が誕生して改革開放の道を進み中国は発展してきた。しかし元の時代や明の時代にくらべてまだまだ領土は少ないというんだよ。誰だってむかし先祖が保有していた土地は取り返したいと思うだろう?それが達成できたとき、初めて中国は世界の先進国と言える。それまでは発展途上の後進国なんだと。もっともこの意見に私は賛同しないがね。」

「元の時代と言っても、それはモンゴル族が興した国家だろう。そんな欲深いことを考えている中国人がいるのかね。」

「それがいるんだなあ。まあ私に言わせれば空想好きのふざけた人間だと思うけどね。ところでチベットでは中国の政策に反対する僧侶などが焼身自殺などするだろう?あれはチベット仏教の考え方もあるんだね。慈と悲を追求する仏教では我が身を挺して不正を糺すという行動もあるが、ウィグル族にはそれがない。イスラムでは自殺は禁じられているんだよ。だから不満のマグマが沸騰すれば戦うようになる。」

中国はウィグル族の統治手法を間違ったと、彼は言いたいようだ。ならば解決策はあるのか。

「難しいな。実はウィグルの石油や天然ガスなど地下資源を採掘して大消費地である北京や上海に回さないと中国はやってゆけない。かといってその資源をあきらめたら、つまりウィグル人の自由意思に任せたら、たちまち欧米やロ シアや日本の資本が入り込んでしまう。結果、あの体制がもっとも恐れる自由な市場が出来上がり、中国にとって脅威の土地と民族となるんだな。」

「かといって、弾圧はいけないよ。ナディアのような女性を生み出すような政策はやはり間違っていると思うよ。」

「私もそう思う。」

と、張燕国さんは言いながら、しかし中国自体も大変なんだと苦笑いした。

「帰国して、仕事柄中国の田舎を巡り、石碑や旧跡の研究を続けているけど、私にとって涙が出るくらい素晴らしい史跡を訪ねても、もうそこは無残にも掘 り返して、マンションなんかを建てているんだな。地方役人に抗議しても埒があかない。彼らはその史跡の歴史的価値なんて、なーんにも分かっていないんだから。なんでもかんでも金でケリがつくと思っている。文化遺産は金で買えないのに、な。なーんにも知らない無知な農民から安い金で土地を買い上げ、マンションや工場用地を造り、汚水は垂れ流し空気は汚染される。私だってこんな中国嫌いだよ。いやそうじゃない。私は中国の大地や風土は大好き。でもあの体制は嫌いだよ。」

 

珍しく悪酔いしそうな張燕国さんに、私は薄めの焼酎ロックを作った。

「あなたも言っていたじゃない。中国は内乱を起こしてはならないと。しかし中国はいつの世でも内乱の火種を抱えているんだな。」

と、寂しそうに張さんが語った。

 

まずは13億人の人民に食事を保証することが最優先の課題。

そのために採用したのが新中国のあの体制ならば、それはそれでいいんじゃないか?

過去に張さんと私はこの点であの体制を支持した。

しかし食事が充足し、国力が増した結果、人民の経済的格差が広がり始めたらそうはいかない。

本来なら経済重視の改革開放路線から内政重視の協調型路線に向かわないといけないのだが、中国の暴走は止まらないのだ。

内乱の火種が大きくなると、より強い力で抑え込むようになる。

それはあの体制がより非情な体制に突き進むことを意味する。

まるで狂った巨象がヒツジの集団を蹴散らし踏み潰し回るように、狂ってくるから見境がつかないのだ。

 

「ごめんね。私ばかり喋って。そのウィグル問題は難しいな。おそらく後に引かないウィグル人と徹底的な弾圧を加える中国との長い戦いになるだろう。 九州に帰ったらその女性に言ってほしいな。厳しく苦しいだろうけど、中国人の中にもあの体制と、この政策はおかしいと感じている人間はたくさんいるから。短兵急に結果を急がずに、できる限り妥協点を探しながら粘り強く交渉してほしいってね。そのうちあの体制は行き詰るさ。そんなに先のことでもな いよ。」

 

声が大きいよとあたりを見回しながら、私は彼も内心では鬱屈したものを抱えているんだなと思った。

「なんとか折り合いをつけて、あの体制はソフトランディングできないかな? たとえば社会主義市場経済推進なんて、わけのわからない理論で金儲けする政策じゃなくて民族融和を中心とした文化平和主義みたいなものへ予算配分を増やすとかしてさ。お互いがお互いを尊重する教育制度や民生政策を充実してほしいな。」

たぶん無理かもしれないと自覚しながら語る私に、

「すべては情報だよ、情報。ここまで情報社会になったら、歯止めが効かないだろうな。社会主義を叩き潰すのに銃はいらないよ。人民一人一人が得た情報による格差と差別の不満が、あの体制にとって大きな脅威となるだろう。」

 

中国にとって最も恐ろしいのは人口の9割を越える漢族の反抗に違いない。

漢族の不満が爆発しないように続ける政策のひとつに、少数民族に対する手厳しい弾圧があるのだろう。

これは漢族に対する見せしめなのかもしれない。

だとしたら愚かなことだ。

 

いつの間にか焼酎のボトルが底をついていた。

グラリ、グラリしながら、私 と張さんはいつも通り、 『俺が払う、私が払う。』のやり取りを経て、二人で肩くみながら居酒屋を出た。

新宿の夜は快活な若者の笑い声があふれてエネルギッシュだ。

私と張さんはいつも通り、 『もう一軒行こう、いやもう帰ろう。』のやり取りを経て、固い握手を交わし、彼は京王線、私はJR線の乗り場に別れた。

 

張さんもクリシュナさんもキムさんも、また私も、みな何がしかの悩みや不満を抱えている。それが人間の生き様、人間ってそういうもんだろう。

それを明日への原動力に変えるのもまた、人間の知恵なのであろう。

私は日本人でよかったなどと安易に結論付けはしないが、仕事を一緒にするこの仲間たちと、今後にわたって喜びも悲しみも共有したいという気持ちがあふれてきたのは事実である。

 

以下、次号 (M・F)

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