~夏季号~ ナディアの青い空…②
2017年07月01日
ナディアの青い空、続けましょう。
さて突然、もう中国人の出演者とは一緒に仕事したくないといったナディア。
いったい何があったというのか?
私はまずは中国人出演者の女性音楽家にさりげなく事情を聞いた。
彼女は揚琴演奏家で名前を李秀鳳という。
揚琴とは140本余りのスチール弦を張った打弦楽器。
古代ペルシャ地方から明の時代(1400年代ごろ)に中国へ伝わった楽器で、先端にゴムを巻いた2本の細い竹のスティックでかろやかに叩いて演奏する。
中国の民族音楽には欠かせない存在であり、独奏楽器、伴奏楽器としても広く親しまれている。
この楽器が中国で定着してやがてヨーロッパへ普及し、今のハンガリーの地で改良されたのがチェンバロやピアノの原型といわれている。
非常にきめ細やかな美しい音色の楽器である。
「どう?このごろ、うまくいってる?」
公演終了後、私はさりげなく、楽屋へ向かう李秀鳳の後姿に訊いた。
私の呼びかけに振り向いた彼女は、笑顔は見せるものの、日頃から、疲れた、疲れた、を連発する、彼女の特徴である重だるい表情がそこにあった。
「何が、ですか?」
「あなたが元気かどうか、聞きたいんだよ。」
「疲れたけど、元気です。心配しないでください。」
「別に心配していないけどね。君は頼りになる人だから。大切な存在だからね。」
「ありがとう。私は元気ですよ。この仕事に満足していますよ。」
「それはよかった。またよろしく、ね。ところで、そうだ、ナディアはこの頃どう?彼女、なんか元気ないように感じるんだけど。」
「彼女ねえ…。何か悩みがあるみたい。それに私とはほとんど口を利かなくなったんですよ。」
「どうして?」
「しらない。ただこの前、私の故郷が発展しているという話になったとき、 彼女、急に不機嫌な顔になったんですよ。」
「なるほど、そうなんだ。中国語でナディアと会話できるのはあなたしかいないから。まあ、仲よくしてよ。」
「私は大丈夫ですけど。でも彼女、イスラムだし、おしゃれとか化粧品なんかに興味ないみたいね。」
「そんなことないだろう。結構美人だし、身だしなみもいいぜ。」
「なんか、すべて日本にいるウィグルの友だちと情報交換していて、服や化粧品なんかも融通し合っているようですよ。」
「へえ、そうなんだ。」
「それにこの前、少し政治的っていうのかな、そんな話になって、彼女、怒ったみたいよ。」
「どうして?」
「ウィグルの人もお金儲けしたらいいのにね。だって今中国は発展しているんだから、私の故郷だって発展しているんだから、儲けたらいいのよって言ったら、お金だけじゃないよ。人間にはお金じゃ買えないプライドがあるって言うの。」
「なるほど。」
「そりゃ、そうだけど、お金が無かったら何も買えないじゃない?貧乏はしたくないよ。難しいことはわからないけど、私、言ったのかなあ?中国の上の人の考えることがいいのか悪いのかはわからないけど、豊かになっていいじゃない。金持ちは悪いの?日本でもアメリカでも豊かだよ。中国が豊かになったらだめなの?」
「そんなことはないよ。でもみんなが豊かになれば一番いいけどね。ただ中国も56の民族があるといっても、もっとも豊かなのは漢族だし、他の55の少数民族は厳しいところが多いからね。」
「そうねえ。でも私は漢族だけど、漢族の中だって豊かでない人もいますよ。」
「結局、それは運と努力かな。」
「だから、このチャンスの仕事、頑張れというんでしょう?」
「わかる?」
「わかりますよ。あなたの言いたいことぐらい。疲れているけど、私は頑張りますって。」
「OK,ありがとう。」
そして私はナディアと向き合った。
「どう?このごろ、うまくいってる?」
「はい。」
「大丈夫かい?何か悩みがあるようだが。」
「大丈夫ですよ。ご心配いりません。」
「それならいいんだけどね。まあ。困ったことがあったら いつでも相談に乗るよ。」
「はい。」
「じゃ、ね。お疲れさま。」
その場を立ち去ろうとした私に、
「あのう、訊いていいですか?あなたはテレサ・テンをどう思いますか?」
また唐突な質問である。
いったい彼女は何を言いたいのだろうか。
「テレサって、あの歌のテレサ・テン?」
「そうです。あのテレサ・テンです。」
「どう思うかって、テレサ・テンは好きだな。か細い絹のような声質だけど、伸びもあるし、愛らしいし、何より歌がうまいしね。それがどうしたの?」
「いえ、いいんです。ただ私もテレサ・テンが好きですし、彼女の勇気っていうか、パワーはすごいですよね。」
「そうだなあ。どうだい、次の公演で踊りながら、ナディアがテレサ・テンの歌を唄うってのは?」
「いや、私はそんな意味では…。」
「冗談だよ、冗談。この公演がもっとよくなる提案ならいつでもOKだよ。」
そう笑いながら、私はその場を離れたが、またこの娘は何か思いつめていると直感した。
しかしその時はそれ以上会話を続けることはなかった。
テレサ・テンはアジアの歌姫とよばれ、とくに日本で大成功した歌手として 有名である。
そんなテレサは1989年に湧き上がった中国人民の民主化要求デモを支援した。
とくに香港の競馬場に押し寄せた約30万人の前で、コンサートを開いて絶叫した姿は鮮明だ。
しかし同年6月4日北京であの天安門事件が起きてしまった。
絶望した彼女は渡仏。
フランスから世界へ向けて中国の民主化を支援した。
その後体調を崩し1995年タイ・チェンマイの滞在先ホテルで死去。
享年42歳だった。
テレサ・テンは中国の民主化運動の英雄だったのである。
「ナディアはテレサ・テンの生き方に共鳴する宿題を抱えている違いない。」
私の中に少しずつ彼女が抱える問題の糸口が分かってきたような気がした。
それは誰だって悩みや不満はあるさ。
でもそれをいちいち解きほぐしていくほど人生の時間はゆっくりありゃしない。
今度会ったら、それはそれとして、自分の将来のことを最優先に考えるよう、彼女を諭してやろうと、私はこの問題を簡単に考えていた。
5月のゴールデンウィークが終わり、公演の仕事が一段落したころ、ナディアから電話があった。
今度は明らかに電話口の様子がおかしい。
「モシ、モシ、どうしたの?泣いているの?何があったの?」
「お兄さんが襲われたんです。左足を切断する大けがを負ったんです!」
「ええっ?どういうこと?」
「家の前でお兄さんが友だちと話していたら、突然中国の公安警察がやってきて、お兄さんを連行しようとしたんです。抵抗するお兄さんと公安警察がもみ合いになって、お兄さんは警棒でひどく殴られて、とくに左足をひどく殴られ、よって、たかって踏みつけられて…。もう、私、悲しくて、悲しくて…。」
「それで公安警察に連行されたの?病院には行ったの?」
「連行される途中、病院の前で突き落とされて、病院の人が中へ担ぎ込んだんですが、手術で左足を切断されて…。」
「それで公安警察は?一緒に話をしていたお兄さんの友だちは?」
「わからない。そのまま去って行ったようです。お父さんもお母さんも怒って、悲しんで、近所の人も怒って、でもお兄さんは何も悪いことしていない。ただ友だちと話していただけなのに、突然、公安警察が襲ってきて…。」
「大変だったねえ。でもしっかりするんだよ。」
「こんなことはしょっちゅうあるんです。私は中国許せない!」
「わかった。わかった。明日詳しく聞こう。明日会えるかい?」
現代ではウィグル人が3人以上集まっていたら、中国の公安警察から事情を聞かれ、事によっては連行されると聞いたことがある。
その3人がたとえ親子であっても集団謀議とみなされるようだ。
また中国の公安部門は、ウィグル人の部落に、いわゆる密告をするウィグル人をお金で組織しているといわれ、ウィグル人同士で疑心暗鬼になっているとも聞いた。
真偽はどうであれ、わずかなお金のために密告が多発する社会は異常だ。
こんなことも聞いたことがある。
漢族が進出したウィグルでは不動産開発が活発に行われている。
わずかな立ち退き料でウィグル人の農地を収用し、そこに高層マンションを建設。
このマンションを投資物件として購入するのは北京や上海や広州に住む大金持ちの漢族。
結局ウィグル人が豊かになることはない。
それどころか、このマンション建設の現場作業員としてウィグル人が就労しても、その給料は同じ労働に従事する漢族労働者の半分以下という。
その理由は、言葉や習慣や労働意欲が違うから。
またイスラムのお祈りで労働時間が減少するから給料が安くても仕方ないと、雇用する漢族経営者が断言するそうだ。
農地を、収用され=盗られて、労働賃金を得ても=搾取されて、神への祈り=大切なもの、を奪っている。
漢族が支配を強めている現状に、ウィグルの人々は戦々恐々とし、不平不満が充満しているのである。
翌日昼過ぎに私は福岡市地行浜にあるヤフオクドームの正面入り口でナディアと待ち合わせた。
食事は?と聞く私に、済ませましたと言った彼女だが、とても食べたくないんだろうと思い、すぐに彼女の話を聞くことにした。
幸い天気も良いので私たちは近くの喫茶店に行くことをやめ、ヤフオクドームの白い階段に腰を降した。
5月の青空とそよぐ風が心地よい。
「大変だったね。それでお兄さんはどう?」
「今朝も電話してお母さんに聞きましたが、やはり左足はダメみたい。膝から下が切断されたんです。」
「どうしてそんなことになったんだろう。」
「お母さんによると、お兄さんは来週に迫った部落のお祭りの準備の話を友だちとしていたんです。何も悪いことをたくらんでいたんじゃないんです。」
「そこへ公安警察が来たんだね。」
「そうです。よってたかってお兄さんを暴行して…。お兄さんは間違われたんですよ。お兄さんは街のバイク屋で修理などをする仕事をしているんですが、お祭りのときに友だち数人でバイクに乗ってパレードしようということになり、その際に旗を立てて走ろう。その旗の色は何にしようということで2日前に集まって話をしていたんだそうです。」
「何人ぐらいで集まったの?」
「その時は7名か8名の友だちが集まったようです。」
「それはあなたの家の外で?」
「いえ、もちろん私の家の中で会いました。お母さんがみんなに熱々のチャイとナンを出したといっていましたから。その時に青色、赤色、黄色、黒色などいろんな希望の旗の色が出たんだそうです。お兄さんは青色がいいと云って、赤色がいいという友だちに、赤色は中国だぞ。ここは中国じゃないぞと言ったそうです。もちろんお兄さんは軽い冗談で言ったんですよ。」
「なるほど。その時はまだ旗の色は決まらなかったんだね。」
「そうだと思います。」
キョック・バイラックという言葉がある。
青字に白の三日月と五角星を配した旗。
つまり“青い旗”という意味である。
中国に編入される前の東トルキスタン共和国の国旗なのである。
中国では当然のこと、この旗の掲揚は禁じており、発覚した場合は重罪が待っているが、ウィグル族らの間ではウィグルの独立を祈願する旗となっているのである。
ナディアの兄は、お祭りの旗に青色を勧めた。
赤色はダメだといった。
つまり反中国の運動家とみなされたのであろう。
その場にいた友だちの誰かが密告したのだ。
しかしそのことに私もナディアも一切触れなかった。
友だちが密告したなんて、そんなことは考えたくもないし触れたくもない。
触れたらいっそうみじめになる出来事だったからである。
と同時に、私は昨年の冬ナディアにプレゼントした“赤いマフラー”を後悔した。
なぜ私は赤い色を選んだのだろう。
青い色にすればよかった…。
「お父さんやお母さんは悲しんだだろうね。」
「お父さんは、公安警察へ出向き、息子はそんな思想は少しもないと申し出ましたが、『赤色はダメだ』という言葉を追及され、このままでは反革命分子になる。父親が反省しろと言われたそうです。」
「お父さんが反省しろと言われても、そんな…。」
「結局、お金を払うんですよ。お金が全部解決するんですよ。」
と、彼女は吐き捨てるように言った。
「罰金払えば、お兄さんの罪はなくなるんですよ。でもお兄さんは何も悪い ことしていない。」
重苦しい沈黙が続いた。
私はこの重苦しい沈黙を振り払うように話題を変えた。
「お母さんはどうしているの?」
「お母さんは、おばさんと一緒に病院に付きっきりで看病しています。今朝はお兄さんの熱も下がり、だいぶ落ち着いてきたと言っていました。」
「よかったね。でも理不尽だなあ。」
「お兄さんは私を学校へ行かせるために、中学校を出てからバイク屋さんに 勤めて、私の学資を稼いでくれました。だから私は日本にも来ることができました。私はお兄さんに感謝しています。だから頑張らなくてはなりません。」
涙声ながら気丈に語るナディアの横顔を見ながら、この娘の芯の強さは家族の愛情に支えられているからと感じた。
いつの間にか博多湾から飛んできたであろうカモメが二羽近寄ってきた。
きっと私たちがパンの耳や菓子などをくれると思ったに違いない。
しかし一向に餌をくれない私たちに、カモメは軽蔑した目を向けて立ち去った。
「こんなこともあるんですよ。」
ナディアは腰かけたヤクオクドームの階段から遠くを見るようなまなざしで語りだした。
「私が高校生の頃かな、友だちが就職で上海や広州へ行く人が増えてきました。上海や広州など沿海部の大都市に就職すると給料がとてもいいんです。勤め先は工場が多いんですが、寮も完備していますし、休みもあるし、親に仕送りもできるし、みんな喜んで行きました。中には漢族に騙されるなという人も いましたが、高い給料は魅力です。」
「それはみんな憧れるだろうね。とにかく中国の沿海部は豊かだし、それにテレビなんかでは発展した街並みがじゃんじゃん出てくるしね。誰だって若者は都会に憧れると思うよ。」
「でもね。順調に仕送りできたのは1年ぐらい。後はそうは行かなくなった。」
「どうして?」
「ウィグルでは高い給料だったけど、同じ仕事なのに、漢族はもっと高かったんですよ。それに生活習慣も漢族と違うし、私たちの食べる食料はなぜか高いし、売っているところも少ないんですよ。みんな困ったみたい。」
「それに悪いことも私たちは覚えたから…。やはり着る物とか、お化粧とかに興味が行ってしまう人も出てきて…。ついついお金を使ってしまったんですね。」
「うーん、でもある程度仕方ないことかもしれないね。都会で一人生活となると日本でも同じようなことがあるよ。」
「私もそう思います。それはその人それぞれだから。豊かさの誘惑に負ける人がいても仕方ないかなとも思いますけど…。でもウィグル人の女性を沿海部の豊かな都市に勧誘したのは別の思惑があったからですよ。」
「なに?別の思惑って。」
「ウィグル女性と漢族男性を結婚させるためですよ。中国政府はそこを狙ったみたい。実際に沿海部へ働きに出て2年もすると漢族の男性と結婚する人が増えたみたいです。」
「でもそれは愛情があるご縁だからいいんじゃない?日本人だって国際結婚はあるんだし…。」
「もちろん国際結婚はいいんですが、親に仕送りできない、つまり漢族の男性の親の生活も見なければならないし、一族や親戚づきあいも大変で、結局何もならないでしょう?」
「そうかもしれないが、みんなそうやって苦労しながら家族を構成していくんだよ。日本人でもむかしはいろいろと苦労があったんだよ。」
「将来性のある結婚ならいいけど、これは中国政府の悪だくみ、同化政策よ。中国はウィグル人をこの世から消そうとしているんだわ。」
ナディアは厳しい口調で断言した。
何が、誰が、彼女をここまで追い込んでいるのか?
私にはおぼろげな推察しかできないが、国際政治のからくりとなると難しい。
どうしたものか…。
ヤフオクドームの階段に腰掛ける私たちのところへよちよち歩きの幼子が近 寄ってきた。
後を追う若い母親と会釈を交わしながら、ナディアが幼子をそっと抱き上げた。
「かわいい。お名前は?」
幼子に頬ずりする彼女は、先ほどまでの厳しく寂しい表情から一変して穏や かな優しい顔になっていた。
母子に手を振った後、つぶやくように彼女は言った。
「日が昇ると家族で働いて、夜、日が暮れると家族で楽しんで、一日に感謝する私たちの生活は貧しいけど心はほんとに豊かだった。家族でいつも一緒に笑いながら暮らす生活、でも今はそれがない。」
私には返す言葉がなかった。
豊かさってなんだろうと思う。
あふれるモノの便利さにドップリつかって、効率の良さを享受して、結局そのいわば悪魔のマシーンに追い立てられて、いま私たちはどこへ向かおうとしているのか?
心の豊かさを忘れてしまった寂しい民族はここ日本にもいるではないか…。
ヤフオクドームから見上げた青い空に飛行機が見えた。
あの飛行機はどこへ飛び立ったのだろうか。
「見てごらん、あの飛行機。どこへ行くんだろう?福岡からウィグルへ直行便が就航するといいね。」
「そうですね。そうなれば素敵だし、今日のこの青空はウィグルの青空に似ていますよ。どこまでも続く真っ青な青空。お兄さん、病院の窓から、この青い空を眺めているかなあ。」 「眺めているさ。元気出して頑張ろうね。」
彼女の肩をポンとたたいて立ち上がった私に、
「ご心配かけてすみません。でもお話を聞いていただいて少し気持ちが楽になりました。本当にありがとう。」
と、彼女が微笑んだ。
そして、
「来月初めウルムチに帰ってきます。またご連絡します。」
と、彼女が言った。
私たちはヤフオクドームを後にし、買い物客でにぎわうホークスタウンモールの脇を抜け、よかとぴあ通りの在韓国領事館から在中国領事館の側を歩きながら、博多湾にそそぐ樋井川沿いを南下しつつ明治通りへ出た。
何となくタクシーに乗るのが憚れてそぞろ歩きした。
途中すれ違った親子連れや女学生の集団が私たちをいぶかるような表情で見た。
いつぞやのうどん屋の店員さんのような、少し顔立ちの変わった外国人風の娘と父親がホークスタウンモールの買い物帰りに歩いていると思ったことだろう。
手ぐらいつないでもよかったかな、恋人同士と思わせたなら、すれ違った人たちはどう思うだろうなどと、ナディアと別れた後、帰りの電車の中で私は不埒な考えをし、苦笑いして頭を振った。
そして何気なく見上げた電車の窓から、青空の中、航跡をともなった雲の先に飛行機がまた見えた。
あの飛行機、どこへ行くんだろう?
この日、私はナディア一家の災難を聞き、ウィグル族と漢族との深い溝に心を痛めたはずだったが、まだそれはほんの序の口に過ぎなかった。
しばらくは溜まった雑務をこなしながら、しかし私の頭からナディアの抱えるウィグルと中国の問題が頭を離れることはなかった。 以下、次号 (M・F)
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