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~新春号~ ボランティア公演

2017年01月01日

あけましておめでとうございます。

お健やかに新年をお迎えのことと存じます。

さて今年の干支は酉。

トリ年ですが、この酉は、もともとは酒つぼを意味し、収穫した果実から、酒を作るという行為に由来したという説があります。

お酒をたしなむのは結構ですが、今年は干支にあわせてお酒を作る行為にも精を出してみましょう。

つまり今年も働きなさいということですよ。

 

さて昨年はなんといっても熊本大地震。

この地震の被害は想像以上に大きく戦慄したことを覚えています。

あれからまもなく9か月。

被災した方々にも被災の復旧、復興に携わるすべての方々にもお正月は来ました。

せめてこの三が日くらいは心穏やかに新年を祝いたいものです。

 

熊本といえば、昨年は2つの高等学校から芸術鑑賞のオファーをいただきました。

その他は会館の破損や体育館の天井崩落、損壊で中止、延期となったのです。

自然の猛威に人間はなすすべがありません。

今では五千回に迫ろうかという余震におののき、阿蘇山の噴火に怖れを抱きました。

 

そんな状況の中、芸術鑑賞を承った熊本県N高校の先生方は、この予期せぬ大災害に遭遇し、授業や行事計画の再構築に追われながらも、

「こういう時期だからこそ、芸術鑑賞会は予定通り行いましょう。明るく、楽しく、元気の出る作品が良い。」

と職員会議で決めたらしいのです。

そして5月に入ってご担当のO先生から、

「ガムさん、お願いできますか?」

とのオファーをいただきました。

 

この話にはプロローグがあるのです。

思えば昨年2月、熊本に行く所用があり、N高校の当時のご担当のK先生に、お会いしたいと電話で申し出たところ、

「たとえ会っても会わなくても選考基準に変化はありません。各社公平に判断します。貴社の作品の提案理由は理解しています。したがって会っても意味はないと思います。」

実にクールなご回答でした。

 

年度末をはさみ新年度を迎えた4月になっての第2週、はからずもそのK先生からお電話を頂戴しました。

「私は異動になり、熊本県の中高連携事業として授業交流するために、J中学校勤務となった。私の後任の担当はO先生です。これからのやりとりはO先生にお願いします。貴社の作品は選考候補に挙がっています。」

実に理詰めな、またしてもクールなご連絡でした。 しかしK先生の話しぶりに温かみを感じとったものです。

そしてなんとその翌週4月14日から16日にかけて熊本で予期せぬ大地震が発生しました。 びっくりした私は、既知の先生方に電話したり、メールで安否を気遣いました。

J中学校に赴任したばかりのK先生からは

「驚いた。いま家を飛び出して田んぼの真ん中に避難している。ありがとう。」

との返信をいただいた。

その後、弊社は熊本への営業を自粛しました。

被災地の混乱と、とくに先生方はそれどころではないだろうとの思いからだったのです。

そういう経過を経ながら5月、N高校のご担当のO先生から、嬉しいオファーをいただいたというわけなのです。

 

6月の末、ようやく熊本へ行きました。

各地に点在するブルーシートが痛々しく、崩れずに踏ん張っている熊本城を見て目頭が熱くなりました。

J中学校に行き、K先生と初めて面談、K先生は想像とは違って若くて笑顔の素敵な方でした。

N高校在籍時の御礼を含めいろいろな話をするうち、私は抱いているアイディアを出しました。

それはN高校芸術鑑賞会の翌日に、いまK先生が赴任しているJ中学校でボランティア公演をするということでした。

「N高校芸術鑑賞の道が開けたのはK先生のおかげ、これも何かの縁です。」

K先生はテレながら、すぐにその方面ご担当の先生をご紹介してくださり、その場でお互いに知恵を出し合うことになりました。

ただ本年度は熊本市教育委員会経由の芸術鑑賞行事が決まっていること。

何より、耐震工事を終えたばかりで、被災時びくともしなかった体育館は、通常の授業や部活以外に、地元住民の集会やレクレーションにも使われており、日夜フル回転、日程的にも、とても開催は無理だとわかったのです。

「やりたいな、そういうのを生徒に観せたいですね。」

その方面ご担当の先生は悔しがり、K先生は、

「ガムさん、来年度、連動する日程があれば提案してください。」

とほほ笑んでくださった。

 

7月末、私はある小学校に注目しました。

それは熊本大地震の震源地にもなった熊本県益城町にある、全校児童90名足らずの小さなT小学校でした。

さっそく電話しS校長先生に構想の内容をお話ししました。

一連の説明を聞いたS校長先生は、

「小学校の体育館は地震の被害で使用禁止です。使えるのは音楽室しかない。そこで何とか終業式もできたから、みなさんがよろしいのなら音楽室でぜひお願いしたい。子どもたちが喜びます。ありがとうございます。」

とたいへん感激してくださり、即決でボランティア公演を受託してくださった。

 

思えば被災後、多くの方が熊本を案じました。

炊き出しや食糧支援、復旧作業など、被災者は人の優しさをかみしめたことでしょう。

しかし時が経つにつれ、人の感情は案じてはいつつも、風化してゆきます。

だけど被災した人の心の傷を癒すには多くの時間がいるのです。

今こそ、とくに子どもたちのために何かできるのではないか。

私たちはそう考えました。

私たち大人は地震の怖さ、大変さを知っていますが、おそらく子どもたちは生まれて初めての体験だったでしょう。

また大きな揺れが来るのでないか?

山が、家が崩れるのではないか?ともだちがいなくなってしまう…。

夜が怖くて眠れないその恐怖は、計り知れないものがあったに違いないのです。

大人と同じように、子どもたちも懸命に耐えているんですね。

その子どもたちの表情に束の間でも笑顔が戻れば、勇気がよみがえれば、こんな嬉しいことはありません。

 

もちろん中国龍鳳芸術団のみなさんも、スタッフのみなさんも、司会者の女性も、ひとつ返事でボランティア公演に賛同してくれました。

「…、…の理由で、私は熊本大地震の震源地、益城町のもっとも小さな小学校でボランティア公演をやりたい。はっきり言っとくけどギャラは1円もないよ。」

「OKです。」

「ほんとにOK?」

「あなたがやれといえばやるよ。」

「そうじゃない。これは気持ち、心の問題だ。私はやりたいけど、みなさんは自分で決めればいい。私は強制しないよ。」

「四川や雲南の地震でも日本は中国を援けてくれた。中日はいろいろあるけど、ぼくらには関係ない。熊本の子どもたちに喜んでほしいんだ。」

「じゃ、いいんだね。ほんとに、いいんだね。」

「いいよ。」

でも 「食事は?ホテルは?」

「もちろんそれは私が準備する。」

「OK!」

「優しいね、あなたは。素敵です。」

「お世辞はいらない。私たちはお互いに援け合うことが大切だよ。」

「そうですね。」

「子どもたちが元気になってくれたら嬉しいな。」

「任せてください。」

「頑張るよ。」

日本人でも中国人でも通い合う心は一緒なのである。

 

11月、ボランティア公演でT小学校の子どもたちは、腹の底から笑い転げ、心の底から感動する姿をみせ、はじけた。

束の間の交流でしたが、子どもたちは人と人のコミュニケーションでもっとも大切なこと、それは「笑顔の交歓」であることを学んだに違いない。

もちろん私たちも、手を振って見送ってくれた子どもたちから笑顔という、もっとも美しい大きなお土産をいただいた。

 

日本と中国。これからも政治的、外交的、経済的に競合し、切磋琢磨するだろう。

しかし両国が育んだ文化や芸術をお互いが尊重し、理解しながら続ける、人と人との交流は、いかなる権力も止めようがないのです。 (完 M・F)

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