~新春号~ 黄鶴楼(こうかくろう)
2015年01月06日
新年あけましておめでとうございます
お健やかに新年をお迎えのことと拝察いたします。
ところで秋季号で取り上げた「老龍口」の冒頭で触れた“黄鶴楼の故事”について、「知らない人もいますよ、書きましょうよ」と周りから煽り立てられた。
元来おだてに弱い筆者だけに、続けて筆を握ることにする、ということで、新年の初めは黄鶴楼。またご笑読くだされば幸いである。
もちろん黄鶴楼も中国の寓話や伝説にその材を求めていることは間違いない。 まずは“黄鶴楼”という詩を遺した崔顥(さいこう)から。704年から754年に生きた盛唐の詩人である。
昔人己乗黄鶴去 此地空余黄鶴楼
黄鶴一去不復返 白雲千載空悠悠
晴川歴歴漢陽樹 芳草萋萋鸚鵡州
日暮郷関何処是 煙波江上使人愁
昔人 己に黄鶴に乗って去り 此の地 空しく余す黄鶴楼
黄鶴一たび去って復た返らず
白雲 千載 空しく 悠悠
晴川歴歴たり 漢陽の樹 芳草 萋萋(せいせい)たり 鸚鵡州
日暮 郷関 何れの處か是れなる 煙波 江上 ひとをして愁へしむ
注:鸚鵡州(おうむしゅう)→揚子江(長江)の中州の名。
☞昔の伝説の中の仙人は黄色い鶴に乗って 去ってしまい、今、この地にはその伝説を 伝える黄鶴楼だけがとり残されたようにあ るばかり。 黄鶴は仙人を乗せて、一たび去ったらもう 再び返って来ることはなく、ただ、白雲だ けが千年の昔も今も変わらぬ姿で何のかか わりもなげに、はるかな大空にポッカリ浮 かんでいる。
晴れわたった揚子江の向こう岸には、くっきりと漢陽の街の木々が見え、中州には芳しい花の咲く草が生い茂っている、あそこは鸚鵡州。 昔をしのぶうちにも、やがてたそがれて、ふと我が故郷はと見やれば、川面に夕靄がたちこめ、望郷の愁いは胸をひたすばかりだ…。
さて、この黄鶴楼の伝説はこうだ。
昔々、長江のほとりに辛(しん)という姓の貧しい青年が酒場を開き、細々ながら正直に暮らしていた。この酒場にはほとんど客もなく、一日に一人か二人の客があれば上々で、まさに青年は、清貧を絵に書いたような毎日を送っていた。
と、ある日、ボロボロの衣服をまとった老人が現れ、
「自分は、全く金を持ち合わせていない。しかし、お腹が空いているので、一杯のお酒と,食物を恵んで欲しい。」
と頼んだ。
気のいい青年は快くお酒を提供し、料理を作って老人にふるまった。
老人は,さも美味そうに料理を味わい、青年のすすめる酒を飲み干し、満足して帰っていった。
ところが、翌日も、その翌日も
「お金が全くない、酒と食事を恵んで欲しい」
と頼む老人は店に来た。 青年は請われるままに、毎日、毎日、酒と食物を提供し続けた。
やがて一年が過ぎる頃、いつものように酒と食物を食べ終えると、相変わらずボロボロの衣服をまとった老人が言った。
「永い間大変お世話になったな。このたび遠くへ行くことになったので、そのお礼に、ささやかなものを差し上げたい。」
そう言うと、やおら他の客が捨てたゴミ袋の中からミカンを拾いあげ、そのミカンの汁で壁に鶴の絵を描いた。そして言った。
「もし貴方が、これから何か困ったことがあったら、この鶴の絵に向かって手を三度叩きなさい。この鶴がきっと貴方を助けてくれるだろう。」 そう言いながら老人は立ち去った。
青年は、ときどき壁に落書きされた鶴の絵をながめながら、老人の話など、さして気にもせず、相変わらず細々ながら正直に、少ない客を相手にしながら酒場を続ける日々が続いた。
ある雨の降る夕暮れ、全く客もなく開店休業の状態でいたとき、青年はふとあの老人が壁に描いた鶴のことを思い出した。
「あの老人は確か三度手を叩けといっていたな。」
青年は戯れに鶴に向かって三度手を叩いてみた。
するとどうだろう、金色の鶴が壁から抜け出して、羽を広げて見事に踊りだしたではないか。
そしてしばらく舞うと、また壁の落書きに収まった。 驚いた青年は、
「あの老人はやはりただ者ではない,仙人かもしれない。よし、これからこの鶴を使って酒場を繁盛させよう」 と思い至った。
やがて、黄色い鶴が舞う酒場は大評判となり、青年は巨万の富を築いた。
ある日のこと、ひょっこりあの老人が現われ、笛を取り出して吹くと、空から白雲が舞い降り、黄色い鶴が壁から抜け出して来た。老人はやはり仙人だったのである。仙人は鶴の背に跨って白雲とともに天に向かって飛び去った。
青年はこれを記念し、感謝の心を抱いて、出来るだけ仙人に近づけるよう、小高い山に“黄鶴楼”を築いたのである。
また同時代701年から762年に生きた大詩人・李白が詠んだ「広陵(今の揚州)に行く孟浩然を見送る」という詩も有名である。
故人西辞黄鶴楼
烟花三月下揚州
孤帆遠影碧空尽
唯見長江天際流
故人 西のかた 黄鶴楼を辞し
烟花三月(えんかさんげつ) 揚州に下る
孤帆の遠影 碧空(へきくう)に尽き
唯(ただ)見る 長江の天際(てんくう)に流るるを
☞友人の孟浩然は黄鶴楼に別れを告げ、これから西へ、霞み立つ三月、 華やかな揚州に向かって長江を下る。
たった一つの舟の帆がだんだん遠ざかり、 ついに、その影が深い紺碧の空の中 に吸いこまれるように消え失せてしまうあとには、ただ長江が、はるかな空のはてに流れてゆくのだろう…。
これにはエピソードがある。のちに黄鶴楼に上って崔顥の詩を読んだ李白が、「眼前に景有るも道(い)うを得ず、崔顥の題詩、上頭に在り」 (目の前に素晴らしい景色が広がっているが、なかなか言葉に言い表せない。もちろん崔顥のすばらしい詩が楼上にあるので、これ以上詩を作る必要はない)といって詩を作ることを諦めたというのである。
ともあれ、老龍口といい、黄鶴楼といい、私利私欲に惑わされずに人の人たる道を愚直でも歩んでおれば、いずれ仙人が幸運を授けてくれるかもしれない?いうお話でした。
経済的利益を優先し、功利、効率のみ追求する、殺伐とした世の中であればあるほど、仙人の飛来を待ち望む庶民の願望は、現代でも通用すると筆者は思っている。
完 (M・F)
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