~秋季号~ 雑草という名の草はない
2013年10月01日
昭和天皇の侍従長であった入江相政(いりえすけまさ)さんが、皇居の庭の雑草を刈っていたところ、昭和天皇が近づいて「何をしているのか?」と、問い質(ただ)した。
入江さんは「雑草が生い茂ってまいりましたので、一部を刈りました。」と答えたところ、
「雑草という草はないよ、入江。どんな植物でもみな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で自由に生きている。」
と、おっしゃったという。
植物学者でもあった陛下は、自身のお立場が「高貴な菊の花」であればこそ、名もなき雑草イコール国民に、広く深い慈愛の心を寄せられていたのである。
時はまさに終戦から30年。雑草を兵士と置き換えれば、戦死した国民に対し、陛下がいかに懺悔(ざんげ)の念をお持ちであったか、推察できるエピソードである。もちろん陛下のお心は「もうこりごりした反戦意識」でいっぱいだったのであろうと、一人よがりながら筆者は納得した。
ところで弊社の作品である「中国文化芸術夢公演・雑技の祭典」。
上演の冒頭、緞帳前に進んだ司会者は、この雑技の“雑”とは、というくだりからスタートする。
「日本では、雑技の雑という字は、乱雑、雑巾、雑然などと良い意味はなく、マイナスイメージがつきまといますが、中国で雑とは、いろいろなもの、なんでもある、すべて、という意味を表しています。このように⋯┉。」
雑草といわれる植物は生命力の強い草。タネを飛ばし、
ところかまわず発芽させて仲間を強靭(きょうじん)に
増やす。うっかり放置すると、あたり一面みるみるうちに
覆(おお)われてしまう。
このように厄介で役立たず、嫌われて駆除の対象となる
植物にも、陛下がおっしゃったようにすべて名前があるの
だ。名前があるということは存在する個性があるというこ
とでもあろう。
たとえ名もなき雑草のような存在であっても、ましてそれが人間であれば、同じく呼吸し、同じく太陽の恵みを等しく浴びているわけだから、軽々に差別をしたり、無視できるはずは毛頭ないのである。
「雑草という名の草はない。」筆者はこの言葉をいつも心に銘じている。
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