象の耳 ~新春号~ ハラショー
2023年01月01日
2023年1月1日
お健やかに新年をお迎えのことと存じます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
もう30年前になるだろうか。
あるご縁で、あるご夫婦と知り合った。
ご主人は、建具屋を経営しており、いわゆる職人肌の方。
口数少なく一見するとコワモテな感じだが、打ち解けると笑顔が素敵でとても親切な方だとわかる。
奥様は、器用な手先を活かして和裁の仕事をしながら家庭を守る、いわゆる専業主婦の方だった。
二人は年齢2つ違い同郷の幼馴染み同士だった。
ご夫妻には二人の子どもがいて、上は女、下は男である。
上の女性は高卒後、地元の銀行勤めを経て結婚し幸せな生活を送っている。
下の弟は大学を卒業後そのまま父の仕事を継いだ。
朴訥な礼儀正しい好青年である。
ある日、といっても30年前のことだが、縁あってご夫婦のお宅を訪問し、勧められるまま酒席を共にした。
奥様の手料理の美味しさもあり、ご主人の親切な対応で酒が進んだ。
やがて話題が仕事の話になり、私が「日中友好の仕事をしている」と告げると、
「それは、とても、とってもいいことだ。しっかり頑張ってください」
と、とても、とっても、と励まされた。
そんなことでお宅を訪問することが3度、4度と重なり、ご夫婦と私の距離は、はたから見るとまるで親子関係か?と思えるほど近づいた。
分かったことがある。
ご主人は戦時中、満州にいたこと。戦後はシベリアで抑留生活を送ったこと。
奥様は満州から命からがら脱出し、先に日本へ帰ったこと。
満州での別れの日、どちらかが先に日本の地を踏んでも、故郷のあの神社の鳥居の後ろで互いを待つこと、二人はそう約束した。
そして戦後1948年、博多港に帰還したご主人は故郷への道を急ぎ、神社の鳥居の後ろで待ちわびる奥様と再会した。
ご主人は、酒席では聞き上手に回り、うん、うん、あっそう、を連発しながらニコニコ顔だった。
やがて酒が回ると歌が飛び出し「♪ハバロフスク ラララ」を音外れで歌い、ハラショー、ハラショーと手拍子を添えた。
「歌って笑い飛ばさなくちゃ、やってられねーよ」。
無惨な満州での軍隊生活と過酷なシベリア抑留生活を想像させた。
ある時、
「でも生きて再会できたのだから、お二人は幸せな運命でしたね」
不用意な私の軽口に、一瞬ご主人の眉が上がり眼がむき出たようで凍り付いた。
でもそれは一瞬だった。
「さあ、どうぞ」
お銚子を持ち上げたご主人はいつもの温厚な笑顔だった。
傍らに居た奥様はいつの間にかいなくなっていた。
暖簾越しに見えた台所で遠くを眺めたたずんでいるようだ。
やがて時が流れ、ご主人の訃報を聞き、続いて後を追うような奥様の訃報を聞いた。
さらに時が流れ、ふと静かな疑問が湧き出した。
その後も交流があるご夫妻の子どもたちの、とくに姉と会った時、思い切って尋ねた。
姉は戦後1950年生まれである。
「満州時代、子供はいなかったのですか?」
「母に訊いたことがある。二人いたそうよ。でも引揚げのどさくさで二人とも死んだんだって」
「ええっ?そうなんだー。で、ほんとに死んだの?」
「死んだらしいよ。それ以上訊くと両親が嫌がるから、私もそれ以上知らない」
「病気だったの?何の病気?」
「わからない。子どもの名前を聞いても教えてくれなかったから」
私の連想は残酷だった。
引き上げの苦しさの中、病気になったかもしれないが、ほんとに二人とも死んだのだろうか?その遺体は?その遺骨は?どこに埋葬したのだろうか?
それとも、人身売買ブローカーに遭遇し、やむを得ず子どもを売ったのだろうか?どういう境遇であれ、我が子を生かすために。
いや、いや、そんなことはないはず。
それでは、子供のいない親切な中国人に引き取ってもらったんだろうか?そうだとしたら、二人の子どもたちは生きているかもしれない、中国残留日本人孤児として生きているかもしれない。私の連想は日ごとに強い思い込みとなった。生きているに違いない!
何年か前、厚労省の関係部署に電話した。
親切に応対してくれたが、なにせ現実的な資料がない現状ではどうすることもできなかった。
今は深く反省している。
どうしてもっと深くご両親から訊いておかなかったのだろうか?
思い出したくない傷だったとしても、そこは説得し、ともに希望を見出すべきだった。
30年前。
私の仕事内容を、「とても、とってもいいことだ」と励ましてくれたご主人の深い気持ちがいまよみがえってくる。
それに気づかなかった自分がつくづく情けない。
万一、大陸に残った二人の子どもたちが息災であれば、今は80歳近くだろう。
その心情を推し量る術はないが、両国はこれからもずっと互いに過ちは繰り返さないと誓うし、中国人であれ日本人であれ、言葉や慣習は違っても”アジアの兄弟姉妹”なんだから、互いをおもんばかって礼を尽くしたいと思っている。
と、同時に、悔恨の根はいまだ深い。戦争は決して起こしてはならない。
(完)
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