象の耳 秋季号 平和が一番
2024年10月01日
2024年10月1日
1981年。
当時は皇太子だった上皇陛下が語った。
「日本では、どうしても記憶しなければならないことが四つあると思います。
8月15日の終戦記念日と、8月6日の広島の原爆投下、8月9日の長崎の原爆投下、そして6月23日の沖縄の戦いの終結の日。この日には黙とうをささげて、今のようなことを考えています。
そして平和のありがたさというものをかみしめ、また、平和を守っていきたいものと思っています。」
僭越ながら、私はそれにもう一つ足したいと思っている。
それは、それぞれの家族、親族が、戦争において無惨にも散った日、散ったとされる日、それを命日というのかどうかはわからないが、忘れてはいけない、それぞれの追悼の日である。
戦争は、にっちもさっちもいかなくなって、やむにやまれず、堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで勃発せざるを得なかったという、苦渋の決断ではない。
悪魔のような“戦争屋”は、平和裏のうちに、ひそかに企て、準備し、大衆を煽って、洗脳することを得意とする。
時には勇ましい言葉を連呼し、時には危機を持ち出して、大衆を不安に陥れるのが常套手段だ。
表向きには、正義や道理を連呼するが、何のことはない、本音は、軍事による自己利益の追求、これのみである。
私たちは、ゆめゆめ騙されてはいけない。戦争はもうこりごりだし、何があっても平和を一番としながら、対話につぐ対話で互いの理解を促進するしか方法はないのである。
複雑化する安全保障環境であればあるこそ、平和的外交、粘り強い対話による課題解決が求められる。
まどろっこしいかもしれないが、人が人を理解するには時間を要するのである。
しかしその時間をこつこつと積み上げれば、互いの意図する平和的信念は共有財産となり、友情は確固たるものになる。
人が人を殺してよいはずはないし、人を殺して、はたして自分が幸せになるのか?否である。
だまされてはいけない。
かって田中角栄元総理は断言した。
「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。
平和について議論する必要もない。だが戦争を知らない世代が政治の中枢になった時はとても危ない。」
令和6年、危ない世代に、日本は入りかけている。心して推移を見つめよう。
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