南方熊楠 世界に不要なものなし
2013年11月01日
人は南方熊楠のことを博物学者、民俗学者、細菌学者、天文学者、人類学者、考古学者、生物学者などといい、別名「歩く百科事典」ともいう。坂本龍馬や西郷隆盛や新選組が活躍し、翌年からは明治という1867年、熊楠は和歌山市に生まれた。
1884年(17歳)、熊楠は大学予備門(現・東大)に入学。翌年に落第したので“ちょうど良い機会”と自主退学し、1886年(19歳)アメリカへ渡る。続いて1892年秋(25歳)でイギリスへ。14年ぶりに帰国した熊楠は1901年(34歳)、訪日中の孫文と再会。
1909年(42歳)、熊楠は『神社合祀(ごうし)反対運動』を開始する。1920年、10年間の抵抗運動がついに実を結び、国会で「神社合祀無益」の決議が採択された。これ以降、熊楠は貴重な自然を天然記念物に指定することで確実に環境保護しようと努めるようになる。
1925年(58歳)、熊楠は数年前から「南方植物研究所」の構想を練り、建設資金集めに奔走していた。この年に寄付を求める為に書いた「履歴書」が、超密度の濃い人生を象徴するかのように7m70cmという長大なもので、巻紙に細字5万5千字で書かれており、世界最長の履歴書と言われている。
江戸時代に生まれ昭和に死んだ熊楠。何かに興味を覚えると、それに関連する全ての学問を知らなければ気が済まないという、底なしの好奇心と爆発的な行動エネルギーの持ち主だった。粘菌や昆虫(害虫も含めて)など微小なものを徹底して観察した熊楠は言う—「世界に不要のものなし」。
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