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ヘレン・ケラー

2014年06月27日

アメリカの社会福祉家ヘレン・ケラーは、生後19か月で しょう紅熱にかかり、目や耳や口が不自由になり、三重苦 といわれるようになったが、熱血家庭教師アン・サリバン の教育によって読み書きを覚えて大学を卒業した。

 

多くの日本人が知っているヘレン・ケラーの人生は今でも 感動を覚えるが、このヘレン・ケラーが4か月以上、日本 に滞在して、日本各地を訪問したことを知っている方は少 ないようだ。

 

当時病床にあったサリバンを気遣い、訪日をためらうものの、そのサリバンに強く勧められ、ヘレン・ケラーは横浜港に到着した。

1937年(昭和12年)4月15日のことである。

この初来日時には昭和天皇に面会もしている。

こんな逸話がある。

この訪日の時に、ヘレン・ケラーは横浜港の客船待合室で財布を盗まれてしまう。

そのことが新聞で報道されると、日本全国の多くの人々から、ヘレン・ケラー宛てに現金が寄せられた。

その額はヘレン・ケラーが日本を離れる時までに盗まれた額の10倍以上に達していたというのである。

日本人の優しさをヘレン・ケラーは感じたことだろう。

1948年(昭和23年)には2度目の日本訪問を果たしている。

今日6月27日は、1880年のヘレン・ケラー誕生から数えて134回目のバースディーである。

障がい者も健常者も、ともに助け合って笑顔あふれる社会にしなければとならないと強く思う。

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