芸術鑑賞・尚志館高等学校のみなさん、ありがとう!
2014年11月18日
13日は鹿児島県の尚志館高等学校の芸術鑑賞だった。 11日の京都明徳高校の公演を終えて、私たちは一気 に京都から北九州へ戻り、翌日鹿児島まで移動した。 生徒のみなさんの大きな拍手と素晴らしい笑顔が見ら れると思うと、旅の疲れなどどこ吹く風である。 行く先は南国鹿児島、それも大隅半島の南端にある 志布志市だから11月とはいえ暖かいだろうと思って いたのが大違い。日本列島を覆ったこの年一番の寒波で冷たい風が、しかし、日差しは温かく微笑んでくれた。 志布志の名の由来は、古くにこの地を訪れた天智天皇が滞在中に主人の妻と侍女がともに布を献上したことを「上からも下からも志として布を献じたことは誠に志布志である」とし、志布志と呼んだと伝えられているのだそうだ。 市民の方は志布志という地名に愛着があり、たとえば志布志市志布志町志布志という地名があるように、志布志市は豊かな海を背景に古くから発展した港町だ。
この志布志市の高台に位置する尚志館高校は、学校法人川島学園が経営する私立高校である。
姉妹高校に鹿児島実業高等学校がある。鹿児島実業高校といえば文武両道の名門校。そして芸術鑑賞で弊社が幾度となくお世話になっている学校である。 以前鹿児島実業高校に赴任しておられたF先生が尚志館高校へ異動となり、そのF先生のお力添えもあって今回の公演が 実現したと聞いている。ありがたいめぐり合わせである。
尚志館高校の尚志とは、「志を尚(たか)くもて」とい う意味。校訓も鹿児島実業高校と同じく「不屈不撓」。 どんな困難にあっても決して心がくじけないという、 薩摩隼人の心意気を示したものである。志布志の地から 噴煙さかのぼる桜島は遠いが、目の前に怒涛逆巻く東シナ海がある。尚志館のOB,OGはこの東シナ海の荒海を見据えながら将来を展望したのだろうと想像し、感慨を覚える私たちだった。 さて尚志館高校の芸術鑑賞は志布志市文化会館で行われた。演目は「中国文化芸術夢公演」である。
会場に着くとすでに20名ぐらいの男子生徒が待機していた。開演準備の手伝いをしてくれるという。「これは背景幕でドロップといいます。これはパンチカーペット、これはヤマ台に使うスカート、ヤマ台とは…。」いろいろと説明しながら作業は進んだ。こうして皆で作り上げる舞台は楽しい。生徒のみなさんにとっても興味深いことで、生徒の社会勉強と作業を通しての連帯意識を、ご担当のO先生は考えておられたのでしょう。私たちもお手伝いいただいて助かりました。あらためて御礼申し上げます。
ところがあらかたの作業を終えたところで問題が発生、パソコンの具合がどうも悪いのだ。それに館外にはもう生徒たちが集合している。開場は13時の予定だったが、できたら開場を早めたいとおっしゃるご担当のO先生のご希望に合わせるため大至急取り組んだ。そして復旧した。開場は12時50分だった。 堰を切ったように笑顔の生徒たちが客席へ。全体指導や教頭先生のご挨拶をいただいて、開演は13時30分の定刻だった。
芸術鑑賞公演は大いに盛り上がった。生徒のみなさんが盛り 上がれば出演者も盛り上がる。とくに四川省の秘技変面は、 客席後方まで降りて行きパフォーマンスを繰り出した。 しかし尚志館高校の生徒さんたちは、盛り上がるだけではない。 本公演のテーマを学習する演目では、真剣に受け止め、大きな 拍手で応えてくれた。
錦江湾を挟んで東に尚志館、西に鹿児島実業。共にその瞳は、 北に位置する大阪、東京の大都会を見据えているのだろう。 近代日本を構築した薩摩隼人の燃える血は脈々と受け継がれているのだ。
勉学に、スポーツに、お互いが切磋琢磨しながら、明日の日本を背負う若者がこの地から輩出されていると思うと、実に頼もしい。 大きく羽ばたいてほしいと願いながら、私たちは志布志の地を後にした。
間もなく完成する新校舎で、また新しい尚志館の歴史が始まる。
「志を尚(たか)くもて」。「不屈不撓」。
ともすれば惰性に陥りやすい私たちを覚醒させるに充分な訓えだった。
楽しかった尚志館高校芸術鑑賞会。 このような機会を設けてくださったご担当のO先生やF先生、そして教頭先生や多くの先生方に心から御礼申し上げます。 そしてありがとう、ほんとうにありがとう尚志館高校のみなさん!
ところでこのブログを発見してくださった方は、ぜひ公演の感想や印象を書き込んでくださいね。生徒のみなさんの率直なご意見を教科書に、私たちも日々勉強しますから。
それではまたお会いしましょう。
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