寒山拾得
2017年04月14日
立ち寄った高鍋舞鶴公園内になんと「寒山拾得の石像」がある。
もと宮崎県南部の串間にあったものを城主・秋月氏が江戸藩邸に移し、明治になって神奈川の別邸に、更に高鍋城内に移した。
江戸麻布の藩邸にあった頃、毎夜邸内を歩き廻る怪しい者がいるので、宿直の武士が妖怪の仕業と考え、待ち伏せて斬りつけた。
手応えはあったが姿が消え失せ、翌日その武士は高熱を発し、邸内の石仏には刀の痕が残っていた。
その後、秋月家に何か異変があると、この傷がはっきり浮かび上がり夜泣きして知らせたという。
確かに石像にはざっくりと刀傷がある。
また秋月氏は中国漢の皇帝の末裔であるともいう。
宮崎と中国とのつながりに思いをはせ、寒山拾得のユーモラスな表情と逸話になごんだ1日だった。
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